
オリとラナはある日、オーストラリアから小さなセーリングボート“パラダイス号”に乗り込み、インド洋へと旅立った。心揺さぶられるがままに旅するシージプシーライフが、2人に教えてくれたこと。彼らの航海ダイアリーをここに綴る。


「Tri Quetra Effect」というオンライン・リトリートを運営するなど、船上生活でも積極的にウェルネスを考えた生活を心がけるラナ


シャイで物静かなオリだが、大好きなサーフィンやスピアフィッシングの話となると笑顔が止まらない。船生活はまさにパーフェクトな暮らし方
パラダイス号出航
2018年6月2日、パラダイス号はダーウィンの街をバックに大海原を走り出した。海から見える高層ビルに明かりが灯り、キラキラと光を放ちながら2人を送り出す。ラナは夕陽でピンク色に染まった街並みを遠くに眺めながら、「ダーウィンよ、さようなら!」と大きな声で叫び手を振った。そしてデッキの先端に座り、これまでの人生を思い返しながら、太陽が濃紺の夜空へ吸い込まれる最後の一瞬までじっと見届けた。インドネシアでスタートした船上生活は、思っていた以上に快適で心地よいものだった。ゆっくりと流れる南国の時間。サーフィンにビーチウォーク、ときには椰子の実をとり、ココナッツジュースを飲み干す。遊び疲れたら船に戻り、ハンモックで読書。波の音をBGMにいつしか眠りに落ちる。オリは大好きなサーフィンとスピアフィッシングに夢中になった。波のない日はオリが新鮮な魚をキャッチして、それをラナが料理する。碇泊地を満喫したら、気の向くままに次の目的地を決める。2人が夢に描いていた自由な旅がそこにはあった。
順風満帆の旅の半面、トラブルも多かった。例えば、無人島のビーチで夕陽を眺めていたらいつの間にか横にクロコダイルが寝そべっていたり、夜、アンカーが外れて何マイルも沖に流されたり……。なかでも印象に残っているのは、数週間過ごしたロテ島を出港する日のことだった。島の人達に別れの挨拶をしに行ったとき、2人は乗ってきたテンダーボート(小型の移動用ボート)を浜に上陸させた。その日は新月の大潮で、潮もかなり引いていた。別れを告げて浜に戻ると、潮はあっという間に満潮に達し、置いてあったはずのテンダーは波とともに沖へと流されてしまっていた。船に戻ることができなくなった2人は途方に暮れる。夜も更け、海は真っ暗闇だった。そこへ沖に向かう漁師の船を見つけたオリは、とっさに海に飛び込み泳ぎ出した。なんとか船まで泳ぎ切り、息をきらしながら片言のインドネシア語で必死に状況を伝え、パラダイス号まで連れて行って欲しいと頼み込んだ。突然海の中から現れたドレッドヘアの男に漁師は心底驚いたようだが、助けが必要だと言うことは理解してくれ船まで送ってくれた。
「パラダイス号に戻ってすぐにレーダーで探したけど、何も反応がないまま2時間以上海を彷徨ったよ。マイル(2キロほど)沖まで探しに行ったけど見つからなくて、その時はもう諦めるしかないって思った」。アンカー(碇)を落とさなかったことを後悔する2人。それでも、その夜には次の島へ向けて出港しなければならなかった。諦めかけた2人が船をゆっくりと旋回させたその時、突如小さな点がレーダーに映し出された! こんな沖に漁師がいるわけがなく、ただの流木かもしれないが最後の望みと思い、ゆっくりとレーダーが示す方向へ船を進めた。目を細めじっと海面を見つめる。暗闇に動く何かを辛うじて捉えた。それは、テンダーだった。「信じられないかもしれないけど、テンダーが海の真ん中にポツンと浮いていたの。見つかるなんて思っていなかったから、本当にラッキーだった。その日から、どんなときでも絶対にアンカーを落とすと決めたの。今では笑って話せるアクシデントよ」と、ラナが教えてくれた。




右上_海に囲まれた生活で食べ物に困ったことはない。いつでもオリがフレッシュな魚をキャッチし、捌いて食べさせてくれる 右中_地元の人々との交流は何よりも心に 残る思い出。言葉の壁があっても気持 ちで繋がることができる 左_テレビもWi-Fiもない世界。時間を気にすることなく、ゆっくりと1 日が過ぎていく。まさに夢のひととき 下_途中立ち寄った島の丘から見渡す 景色。右下には美しいコバルトブルー の湾に浮かぶパラダイス号が見える
船上生活の魅力
2人に、普通の生活に戻りたくなったり、寂しくなったことがないか尋てみると、しばらく考えて「うーん、ないかな。確かにエンジントラブルや嵐に巻き込まれたら、もう嫌だってその時は思うけど、それを忘れさせてくれる感動的な体験や人との出会いがいっぱいある」とオリ。インドネシアに点在する美しい島々をセーリングしてきたパラダイス号。2人ともお気に入りの場所が2つあり、揃って同じだった。1つはサブ島。あまり聞いた事がない名前だがそれもそのはず、インド洋の真ん中にポツンと浮かび、交通の便が非常に悪く、モンスーンシーズンには船さえ近づくことができなくなる。そんな理由もあり、ときには“インド洋の孤島”などとも呼ばれ、観光客もほとんど訪れることがない。ここまで聞くとあまりイメージは良くないが、2人が実際に目にした島は、コバルトブルーの海に白いビーチが続き、パーフェクトな波が割れていた。そして島内に不思議な形をした大きなキノコ岩や洞窟、綺麗なストリーム、伝統工芸のイカットや村に昔から伝わる伝統の踊りなど、興味深い場所がいくつもあった。さらに、サブの島民たちは2人を自分の家族のように迎えてくれ、一生懸命作った料理を食べさせてくれたり、焚き火を囲んでギター片手に歌って過ごした夜もあった。極めつけは、長老のお婆ちゃんがセレモニーのときだけ着用する伝統衣装を2人に着付けしてくれた。今でも多くの島民が焚き火や手汲みの井戸で生活するサブ島。物質的には貧しいが、彼らの心の豊かさは現代社会で暮らす人々が忘れてしまった人と人との繋がりやふれあいの大切さを、オリとラナに教えてくれた。島民の溢れるほどの優しさに癒された2人は、結局予定を引き延ばし1ヶ月以上滞在した。島を離れる最後の日についてラナはこう綴っている。『船で出港の準備をしていると、次から次に島民たちが手漕ぎボートでやってきた。どのボートにも、今日家族で食べるために獲ったであろう大切な魚や果物が積んであり、それを好きなだけ持って行けと私たちに渡してくれた。短い間だったけど、あんなに心のピュアな人たちと過ごせた日々が、このジャーニーでの一番の思い出』。
サブ島と並んでお気に入りの場所は、コモドドラゴンで有名なコモド諸島。サブ島での体験とは打って変わって、無人の湾で過ごした静かな日々だった。コモド島は近年観光客に人気のエリアで、ダイビングやスノーケリングの人気スポットにもなっている。パラダイス号が初日に停泊した湾も観光向けの船でごった返していて、モーリング(碇泊用の浮き)はすでに一杯だった。翌日移動した場所は観光船が一艘もいない静かな海で、深さが分からないほど透き通っていた。クリスタルクリアの海には色鮮やかなサンゴ礁や熱帯の美しい魚たちの姿が、上からでもはっきり見えるほどだった。何より2人が驚いたのは、そこを住処とするマンタレイの群れ。彼らは好奇心がとても強く、ラナがSUPでパドルをしているとすぐそばまで寄ってきて、周りをいつまでも泳ぎ続けた。夢中になりすぎて、毎日6時間以上を海の中で過ごしていたという。その感動的な体験の裏で、悲しいできこともあったと、ラナ。「誰もいない海にもかかわらず、マンタレイの周りには多くのプラスチックゴミが浮いていたの。彼らが誤って吸い込んでしまわないかと、ずっとドキドキしていたわ」。何百キロ、あるいは何千キロも離れたところから流れ着いたプラスチックゴミ。一度捨ててしまえば見ることはないが、だからと言って完全に消えた訳ではない。ラナが目にしたように、私たちが出したゴミが、どこか遠い海の生き物たちを危険に晒しているかもしれない。この体験によってプラスチック利用を考え直したラナは、野菜を買う際はパッケージフリーのものを選び、魚はオリが海で獲ったものを頂き、加工食品やパッケージがあるモノはできるだけ買わないようにしている。こうした食生活により船上でのゴミは極端に削減でき、さらにプラスチックゴミが出ることはほとんどなくなった。
この3年間でインドネシアの多くの場所を訪れた2人。海の上で生活する彼らにしか味わえない解放感、そして自由。それは今もなお2人を虜にし続けている。一方、小さな船の上で暮らし続けることは決して簡単なことではない。喧嘩して、互いに違うキャビンに閉じこもったこともある。ストームに巻き込まれて、生きた心地がしないセーリングを味わうこともあった。けれども、その先にはいつも2人の心をときめかせる出会いや、感動的な体験が待っている。最後にオリに、今後のプランを尋ねてみた。
「この6月にパラダイス号のビザ(インドネシアでは外国登録の船にはビザが普及される)が切れるんだ。だから、一度インドネシアを出なくちゃいけない。でもまたすぐに戻ってきて、インドネシアに自分たちのベースとなる小さな家を建てたいと思ってるんだ。でも、セーリングの旅を辞めるつもりはないよ。これから先も、行きたいところがいっぱいあるから。あと、近い将来ラナとファミリーを持ちたいとも思っている」。
少し照れ臭そうに話してくれたオリ。いつの日かパラダイス号の乗員は2人から3人に増え、大海原を航海していくだろう。2人の自由の旅は、これからもまだまだ続く。




右上_手作りのソーラーパネル付きボードラックには、リーフで傷ついたり、日やけして黄色くなったボードが並んでいる 右中_ラナのテンペヴィーガンラップ。ソースもすべてイチから作ってしまう彼女の料理は本当に美味しい 左_パラダイス号を手に入れた時からそこにずっとある古時計。このジャーニーの思い出を2人と共に刻み続けている 下_着るものは水着やボードショーツばかりで、洗濯物はほとんどない。潮風と太陽で一瞬で乾いてしまう


この船上生活でさらにインドネシアの自然に魅了された。船から海へ飛び込めばすぐそこには、世界一大きなバックヤードが広がっている
Best & Worst Memories Top5
2人に聞いた、 旅の想い出ベスト&ワースト 5
Best Memories no.1
長年の夢だったボートを受け取った日に友人を招き、ダーウィンの海へサンセットクルーズしたこと。2人の新しい人生のチャプターを祝福したときの達成感は今でも忘れられない。
Best memories no.2
オーストラリアからインドネシアに向けての5日間に渡るクロッシング中、インドネシア海域に入るとものすごい数のイルカの群れが現れ、“ようこそ”と出迎えてくれた瞬間。
Best memories no.3
サブ島までセイルしアンカレッジ(船が錨を下ろせるポイント)に到着すると、そこには今まで見たことがないパーフェクトな波が割れていた。その光景はずっと夢に見ていたそのものだった。
Best memories no.4
オリの30歳の誕生日に、兄弟や友人が駆けつけ、サーフトリップに行ったこと。彼の大好きなメンタワイのポイント、ランサズライトはほぼ貸し切り状態で、素敵な誕生日プレゼントとなった。
Best memories no.5
コモドのシークレットベイで海の生き物たちと過ごした時間は、言葉では表せないほど感動的だった。無人のパラダイスで大きなマンタレイと泳いだ日々は、今でも鮮明に記憶に残っている。
Worst memories no.1
嵐に向かってセーリングをしていた日、気がつくとパラダイス号は雷の渦に巻き込まれていた。目の前に落ちる雷の間をすり抜けながらセーリングしたのは、最も怖かった思い出のひとつ。
Worst memories no.2
ある夜、ラナがベッドで映画を見終わってシャワーを浴びようと起き上がりシーツをめくると、なんと真横に猛毒の海ヘビがとぐろを巻いて寝ていた。あれは本当に恐ろしかった。
Worst memories no.3
ボートのトイレが詰まって壊れてしまったとき。オリが海の真ん中でトイレのパイプを開き、修理しなくてはならなかった。揺れる船の中に広がるあの匂いは最悪だった。
Worst memories no.4
風と高波の夜にセーリングをしているときパーツが壊れ、舵のコントロールを完全に失った。修理に3時間かかったがその間海を彷徨い続け、恐怖と不安で生きた心地がしなかった。
Worst memories no.5
ある夜オリが友人のテンダーに乗っていたとき、向かってきたボートと正面衝突事故をおこした。オリは顎と口を強く強打して前歯7本が折れ、緊急手術を受けることになったこと。
Natural Sun Screen Recipe
船上生活は手作りが基本だが、ラナは日やけ止めもハンドメイド。そのレシピを公開



材料はオーガニック、または100%ピュアなものをセレクト。使用の際は1~2時間毎に塗り直すのがオススメ
<材料>
ビーワックス 40g
シアバター 40g
ココナッツオイル 大さじ4
アーモンドオイル 大さじ4
ヘンプオイル 大さじ2
ノンナノジンク 大さじ1 1/2
フランキンセンスオイル 4滴
キャロットシードオイル 6滴
<作り方>
1. ビーワックスとシアバターを湯煎で溶かす
2. 溶けたらよく混ぜ合わせ、 火から外し常温まで冷ます
3. 残りの材料をビーワックスと シアバターのボウルに加えよく混ぜる
4. 浅目の缶やジャーに入れて冷ます
photography : Dave Mathew, Natsuko Shibata, Hatsumi Ishibashi text : Natsuko Shibata
special thanks : Alannah Jane Sabine, Oliver Thomas Taylor
コメントを投稿するにはログインしてください。