スペシャルコラム「Endless Waves」#02_旅で学んだ自分軸


今まで一人でいろんな場所へ何も知らないまま飛び込んでみて、一つ言えることは全ては自分が決めると言うこと。言い換えると、全ては自分で決められると言うこと。
行きたい国へ行くのか行かないのか、目の前のバスに乗るか乗らないか、その人に会いに行くか行かないか、その波に乗るのか乗らないのか、ご飯にするかパスタにするか、水にするかお茶にするか。日頃のとても小さなチョイスの連続で私たちの人生は成り立っている。その点と点が繋がり、一つの「人生」と言う線をそれぞれが描いていくものだと思う。周りに反対されても「行く」と言う決断をするんだっていい。逆に周りがどんなに応援してくれていても「辞める」と言う選択肢もある。家族が、友達が、パートナーがってあげ始めたらキリがないのだけれど、周りの人や環境は思っているほど実は関係なかったり、やってみたら周りの話とは全く違う体験や結果になることもある。
私は6年前、仕事を辞めてインドへ行くことにした。目的はヨガを習うこと。スタジオにヨガを習いに行くことに疑問を抱いていて、自分で出来るようになりたいと思ったのがきっかけだった。結局その旅は5ヶ月間の東南アジア放浪となったのだけれど、インドへ行く! と決めてから周りからは色んなことを言われたのを覚えている。
「インド!? ひとり!? 危ないよー!大丈夫なの?」とか「めっちゃレイプとかあるみたいだよ」とか。
もちろん友人達は私のことを気にかけてそう言う言葉をかけてくれていたのだろう。
「危ないよ」と教えてくれた友人達に実際にインドへ行ったことがあるのか聞いてみた。すると、行ったことはないという事実が分かった。
「ニュースとか、話によく聞くから」と言う回答だった。
私は生まれつき人より好奇心旺盛で、知らないことを自分で体験して経験することに貪欲な方だと思う。それは今でも変わらないのだけれど、周りから「危ないよ!」って言われるとますます行きたくなって自分の目で確かめてみたくなってしまうのだ。
実際には怖い目には一度もあわず、あのインドのカオスの中に存在する人々の温もりや、バイタリティの強さに心打たれた。恵まれた環境の中で呑気に暮らしていた自分には衝撃的だったのだ。それでも食べて、寝て、嬉しい時に見せる笑顔や悲しい時に流す涙はどの国の人々でも共通なのだという現実を目の当たりにして「同じ人間なんだな」と心なしか安心したことを今でも覚えている。
あの時、優しさからくる心配の声を無視してインドへ行って良かったと思う。インドへ実際に行っていなかったら、いま記した全ての体験にも気持ちにも出会っていなかった。“インド”が私の中で未知のまま、もしくは危ないイメージで終わっていたに違いない。

インドで1ヶ月を過ごした後も、選択の連続だった。その日に何を食べるのか、次はどこへ行くのか。選択の連続の結果インドータイーカンボジアーマレーシアーインドネシア と周り5ヶ月間の放浪の旅となったのだ。1人で旅をしていると信じられるのは自分しかいないので、毎日自分に問いかけながら、必要な情報だけを入手して選択をしていくのが当たり前になる。
私たちの日常の中で、インドへ行くとか旅という大きな出来事とまではいかなくても毎日は選択の連続。しかしながらSNSの普及で情報過多、昔は知らないままで済んでいた他人の生活や活躍を目にして比べてしまったり、それが当たり前になり自分の直感だけで何かを決めるという場面はかなり少ないように感じる。自分の中で、周りからの声が大きくなりすぎたり、人と比べている自分に気がついたら、一度そういう世界からは少し離れて、森に入ったり、海に浮かんだりして本来の自分と繋がる作業が今まで以上に必要なのかもしれない。
「誰かがこうしているから」とか「あの人にこう言われたから」ということからは一旦自分を切り話して、自分自身がどう感じているか、どうしたいのか、自分に問いかけながらとことんと向き合ってみるのも良い。
全て自分で決めると、人のせいにしなくて済むようになる。「こう言われたからこうしたのに」なんていうことが減ってきて、自分で自分の毎日を作っていくパワーみたいなものと同時に、人生の舵を握っているのは自分という自覚が発生してワクワクしてくる。自分の人生は自分で創るものだから。

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