【上原かいコラム】#5_Take Care of the Earth and I

20年ほど前の春だった。ふと半年近くも、大好きな焼肉を食べていないことに、気が付いた。自他共に認めるグルメの知人が、今一番美味しいという店に連れて行ってくれた。たらふく食べて帰宅した翌朝、起き上がれないほどの苦痛に見舞われた。激しい頭痛と嘔吐と下痢。かつて経験したことのない酷さだった。けれど、二日酔いになるほどお酒を飲んだ覚えもない。なのに、回復に3日もかかった。これはどういうことだろう。一体、私の身体に何が起こっているのだろうと、不安になった。理由がわからないまま、数週間が経った頃、ビジネスミーテイングで、フルコースデイナーを頂く機会があった。メインのビーフを食べることに、抵抗感があった。迷った挙句、原因を究明しようと、一口だけ食べてみた。その夜、以前より随分軽いものの、似たような症状が出た。やっぱり。もう身体が受け付けない。その時チーンと、鐘の音が聞こえた。終わりの合図だ。もう一生分の肉を食べ終わったと感じた。半年もお肉を食べたくならなかった理由が、やっと分かった。もう2度と、あんな苦しい思いはしたくない。強制的だったが、不思議とあっさり観念した。身体の声に耳を傾けたその日から、ヴィーガンへの道が始まった。それが、地球と自分を大切にすることに繋がるとは、まだ思ってもみない頃だった。Take care of the Earth and I.

昨日(4月22日)は、アースデイ。地球を大切に思う日だ。地球環境について考え、アクションをする日。50年も前に提唱されたそうだ。近年は、持続可能な開発目標、SDGsについての取り組みも盛んになっている。ここ最近の温暖化傾向に危機感を強め、これまでのライフスタイルを見直す社会活動が、活発に提案されている。私がアースデイに興味を持ち始めたのは、身体が次々と動物性のものを受け付けなくなって行った20年前のことだ。赤身の肉から、豚、白身肉の鳥へと、徐々に全ての肉類を身体が拒絶するようになった。牛乳や卵、さらには魚までも。その動物臭や血の臭いも受け付けなくなった。さらに大好きだった毛皮も、革製品も身に纏うことが出来なくなった。そんな頃、ヨガを始めた。忙し過ぎて、自己を見失ってしまった生活を、改めるためだった。そこで、アヒムサという不殺生、非暴力というヨガの禁戒を知った。命あるものの生命を奪ってはいけない。他者を、そして自身を傷つけてもいけないという教えだ。劇的に変わりゆく食生活を、根底から支えてくれた。そうして、ヴィーガンというライフスタイルへと辿り着いた。全く思ってもみなかった。子供のころから当たり前に、毎日食べていた肉が食べられなくなったばかりか、肉屋や魚屋の前を通るのも辛くなった。けれども、命の恵みに溢れるオーガニック野菜や果物は、私の身体を元気にしてくれた。消化器官が弱く、よく胃痛に悩まされていたが、全く無くなった。身体が楽になった。料理好きの私にとって、ヴィーガンという新しいレシピに挑戦するのも、楽しくて仕方なかった。身体が喜ぶと、心もハッピーになった。心と身体が繋がって、本来の姿を取り戻すと、なんとも言えない幸福感、至福を感じることを知った。また、食用や衣服用に飼育される動物の、劣悪な環境や非動物的生涯にも、心を痛めた。肉食は豊かさの証のように思い込んでいたけれど、そうではなかった。とにかく食いしん坊で、美食家を自称する私の食の変化を、家族や友人も皆心配した。何か宗教に入ったのかとか、肉を食べないと身体に良くないとか言われた。けれども、当時の私は、平気で5時間サーフィンを続ける、体力も筋力も、気力もあった。日本ではまだ、ヴィーガンというライフスタイルは全く認知されておらず、菜食主義者イコール変人のように思われることも多かった。けれども、禅の教えを知った’60年代のヒッピーからはじまって、アースコンシャスな欧米の人々の間では、ヴィーガンというライフスタイルはすでに根付いていた。

今、日本では、最先端の食生活のように、ヴィーガンがもてはやされている。持続可能な食生活として、やっと認知されはじめたことは、嬉しく思う。試してみて欲しい。けれども、ライフスタイルは流行ではなく、その人それぞれの生き方、豊かさの表現だ。無理にシフトしようとするのは、自分への暴力になる。一過性のものとして終わらせて欲しくない、とも願う。常に、心の声を聞いて、心と身体をひとつにすると、自分自身がハッピーになる。地球に優しいライフスタイルは、自然の一部である私たち人間にとっても、優しいものであるはずだ。地球を大切にすることは、自分を大切にすること。Take care of the Earth and I. 先ずは自分を大切に。

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