
11回目に取り上げるのは「瞑想」。瞑想家として活動する柴田佑奈さんを紹介します。

意識を広げてくれる「瞑想」
私は20代の頃に歌手活動をしていたのですが、その最中に心を病んでしまったことが瞑想を始めるきっかけでした。生き辛さを抱えていたので、目には見えない世界に何か心地よく生きるヒントがある気がして。瞑想の魅力は、意識を広げてくれるところにあると思います。大自然を前にしたときに、抱えていた問題が「大したことないな」「きっと大丈夫」と思える経験って、誰しもありますよね。意識が広がるというのはそんな感覚に似ています。
私たちは生きるためにマインドのなかに篭りがちですが、そうなると自分・他人という境界もくっきりと感じます。それが複雑さを生み出し、様々な悩みに繋がってしまいますが、意識が広がると違う見方ができるようになるんです。
瞑想は自分を慈しむことだなとも感じます。自分が今どんな状態にあるのかを感じ、自分自身との関係性を育んでいくことができます。月の満ち欠けや海の満ち引き、季節のサイクルのように、人もずっと元気でいなくてもいいんだなとか、怒ってもいいし、落ち込んでもいい──。移り変わる自分の状態を一歩俯瞰した視点で眺め、愛でられるようになるのも瞑想の魅力だと思います。自分にやさしく、大切にすることができると、世界との関係もやさしいものに変わっていきます。
縁・繋がりを意識して世界を眺めて

呼吸ひとつをとっても、酸素を生み出してくれる木々があって、食べる野菜ひとつをとっても、そこにはたくさんの人の手や、土の中にいる菌や太陽の光、受粉させてくる蜜蜂がいる。すべてのものに繋がりがあり、人もその大きなサイクルのなかにいるんだなということを感じると、自分を大切にするように自然も大切にすることができるようになるはずです。
そんな自然との縁・繋がりを意識し、私自身、洗濯をする際にはAll things in Natureという環境にやさしい洗剤を使用してみたり、食器類を洗うときにはできるだけ洗剤を使わないようにしてみたり。さらに、生ごみは庭にあるコンポストへ入れ、エコバッグやマイカップも持ち歩いています。また、鎌倉のウエストサイドに住む友人と共にSDGsの「つかう責任・つくる責任」を意識した、地域でモノやスキルが循環する「まちのポケット」も運営しているんです。
自分の存在にくつろいで生きる
そんな私が感じる「心地よい暮らし」とは、まず何よりも、この世界で一番大切にするべき自分自身を慈しみ暮らすことです。何者かになろうと必死に自分本来の形を変形させて生きていると、どれだけ状況がととのっていても息切れしてしまいます。
「〜しなければいけない」「〜が足りない」とto doで生きるのではなく、「すでに充分に満たされている」というbeingで、自分という存在にくつろいで生きていると、家族や友人との関係も満たされた心地よいものになっていき、自然や地球のことも大切にできるような気がしています。時にはto doに偏ってしまうこともありますが、そんなときには海に入ったり、山をゆっくりと歩いたり、夫と散歩してみたり。何かに助けてもらうことも心地よい暮らしを送る上で大切なことだと思っています。
瞑想=「自分を大切にする時間」に

瞑想というと、他のアクティビティよりも真面目に取り組んでしまう方が多いかと思いますが、まずは「自分を大切にする時間」と捉えて、気楽な気持ちではじめることをおすすめします。瞑想は結局、幸せに心地よく暮らすためにあるもの。毎日何分やらなくては〜と決まりを増やしてしまうよりも、心地よさを優先してみてください。
何のツールもなく、ただ目を閉じて瞑想するのは難易度が高いので、キャンドルの灯を静かに眺めてみたり、瞑想に入りやすい楽器や自然の音、誘導のCDを使ってみたりするのも良いと思います。雑念が出てきて落ち着かないという方は、それを何とかしようとせずに「雑念は天気のようなもの」と捉えると楽です。雨が降っているときに雨が止むのをただ待つように、なんとかしようとせずに眺めているような感覚です。それでも落ち着かないなというときには、動と静を組み合わせると良いですよ。頭が働かないほど体を思いっきり動かして、その後シャバアサナ。インドのアシュラムでもこの流れはよく取り入れられていたものです。無理せず、自分が心地よいと思えるやり方で瞑想をはじめてみてください。
コメントを投稿するにはログインしてください。