上原かいのハワイコラム|What is the most Precious to You?

この時期、それは何度か起こった。全く意図せず、瞬時に。ひゅっと自分から浮かび出て、ふわっと空中に昇っていく別の自分。初めての経験だ。見た事のない景色を、最初はぼーと見ていた。突然世界中の人々が、同時に未知の脅威に直面し、未曽有の生命の危機に震撼していた頃。先の見えない不安に怯え、目に見えないCOVID-19の渦に、ただ為す術もなく呑み込まれていきそうな時だった。様々な情報や憶測が飛び交い、何を信じていいのか。誰もが暗中模索する中、信じるのは自分だと感じた。世間の喧騒から離れて、自分と向き合う時間が増えていった。

抜け出した自分の下を見下ろすと、ぽつんと小さな自分が立っていた。少し昇って視野が広くなると、周辺には他の人々や、犬や鳥や蝶や蟻など様々な生き物たちも見えた。その頭上には、無数の極小さな粒子が舞っていた。見えないはずの細菌やウイルスだ。さらに高く昇ると、人も動物も細菌やウイルスも見えなくなってしまった。視界には球状の大地が広がってきた。その中には、新緑の山々や森林、澄んだ水が流れ落ちる滝や川が見えた。大きな青い海が見えてくると、これは地球だと分かった。数知れない多くの命が共に生きていた。この生態系の一部である小さな自分の命は、この大きな自然の中で生きている。空を見上げて深く息を吸うと、ここは宇宙の中だと気が付いた。そして、長くゆっくりと息を吐いた。ウイルスへの過大な恐怖心や不安感は、いつの間にか消えていた。すると今度は、子供の頃に観たSF映画『ミクロの決死圏』のように、極々小さくなった自分が身体の中に居た。赤々とした血液が心臓の鼓動と共に脈を打って流れ、透明感のある球形の細胞は、まるで部屋の中のようだった。それぞれが連携して、それぞれの役割を持って、脈々と命の営みを続けていた。さながらマイクロコスモ、小宇宙だった。人間も動物も植物も、細胞もウイルスも、全ては同じ命ある生物で、同じ宇宙、自然の一部だ。自分の命も、全ての生物の命も愛おしく、大切に感じられた。大きな安心感と幸福感に包まれた。それはSTAY HOMEの家の中で見た白日夢だったのだろうか。張り出した窓からは強い夏の陽射しが射し込み、朝霧の粒子の帯が光に透けて、純白の虹、ホワイトレインボーのようにきらきら輝いていた。自分を離れて遠くから俯瞰で見るマクロの視点と、自分の内側から肉薄して凝視するミクロの視点。この対局にあるふたつの視界は、フェアでポジティブなヴィジョンを与えてくれた。パンデミックにより、外側に逃げ場がなくなり、自分の内面に向かわざるを得なくなった。それは自分と、そして全ての命と向き合う貴重な時だった。自分にとって、本当に大切なものに出合った。

コロナウイルスの主な宿主は、野生動物だという。広大な原生林が伐採されて、彼らは住処を失い、また違法に売買されて本来の生息地から追い出され、人間との接触を余儀なくされた。強欲に開発を広げた人間は、自然に踏み込み過ぎて、住み分けされていたはずの未知の病原体に出合ってしまった。ウイルスだけを悪者呼ばわりはできない。戦いとか勝つという言葉を目や耳にするが、どうも腑に落ちない。パンドラの箱を開けてしまったのは人間だ。人類の経済活動は、開発や破壊を繰り返し、すでに地球環境を大きく変えてしまった。耐えきれなくなった自然から、切実なメッセージが届いている。温暖化による異常気象で集中豪雨や洪水、高温による熱波など、大災害が頻発している。人間も動物も植物も、多くの命が失われた。すでに、このような未知のウイルスとの遭遇さえも予測されていた。今や人類は、100年に一度という生存の危機に陥り、もうこの悲痛な叫びから耳をそらすことは出来ない。

“What is the most Precious to you? あなたにとって、一番大切なものは何ですか?” COVID-19からの人類への問いかけだ。“それは自分。たったひとつの命。そしてすべての命”。ミクロの視点を利己的でなく、利他的なマクロの視点へと広げ、導いてくれたのがあの白日夢だ。大切な自分の命は、すべての大切な命と繋がって生きている。自分を、他者を、自然を敬い、生命の持続可能な生存へとパラダイムシフトする時、私たちは初めて未知のウイルスとも、共に生きるように進化できるだろう。



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