
オーストラリア最南端に位置する離島、タスマニア。大自然の中でサーフィンを楽しんでは火を囲み、釣りや狩をしながら大家族とワイルドな幼少期を過ごした少女がいた。やがて彼女はオープンファイヤーを自由自在に操り、人々のお腹を満たすプロとなった。




冷たい海にパドルアウト出来る理由



世界で最もピュアな場所
タスマニアの説明をするとき、北海道と比較されることが多い。サイズ的には北海道よりやや小さいが、人口は10分の1程度。これだけ聞けば、手付かずの大自然が溢れている様子が容易に想像できる。オーストラリアの中でも特別扱いされるタスマニアは、世界的にもトップクラスのクリーンな水、空気、土壌を有しており、世界で最もピュアな場所と称されている。そんな環境の中でサラはクリエイティブな母と、ファームを営みながら狩りをする父のもと、8人兄妹の2番目として生まれ、天真爛漫な幼少期をおくった。
「裏庭にあるフルーツの木々に登ってはそのフルーツを摘み取り、ママと一緒にたくさんのスイーツを作ったわ」
専業主婦として8人の子供を育てたサラの母は、サラが9歳になると学校を休学させホームスクーリングを試みた。
「学校に行かないことで自分のペースが生まれ、私自身“自分”というものを見つける時間を作ることができた気がする。無理にやらされたり、詰め込まれる教育ではなく、自分が得意で好きなものを知り、そこにフォーカスできるように、ママは私にチャンスを与えてくれたの」
家のファーム業の手伝いもしっかり行い、手伝いと交換に手に入れたお小遣いを握りしめ、兄妹で向かったのは地元のフィッシュ&チップス屋さん(魚の天ぷらとフライドポテト。オーストラリアではランチやディナーとして人気)だった。兄達から影響を受けてサーフィンを始めたのは歳のとき。タスマニアは日本の東北地方に似た気候で、冬には水温が10度以下に下がる極寒な環境。サーフィンするにはブーツにグローブ、ときにはヘッドキャップも強いられるため、ハードコアなサーファーしかサーフィンできないのでは? と想像してしまう。
「当時は女の子用のウェットスーツを探すのが大変で、男の子のモノを着て頑張っていたわ。まさにトムボーイよね笑!」
男の子に混ざってサーフィンを楽しみながら育ったサラはどことなく中性的で、男勝りなアクティブさと、女性らしい繊細さをバランスよく兼ね備えている。
パーティの盛り付けは新聞紙の上!?



新しい人生のチャプター
16歳で料理の世界へ進んだサラはシェフとしての経験やロードトリップを重ね、ケータリングの会社を立ち上げた。さらにたくさんの人々と出会い冒険を繰り返し、クッキーのブランドもスタート。卸売りしてまわるなどビジネスの辛さと楽しさを学んだ。食への探求が止まらないサラはさらなる高見を目指すため愛するタスマニアを離れ、栄養学を学びにゴールドコーストへと拠点を移した。このとき21歳。その後シドニーへ移ると、大好きなサーフィンに関連する仕事に魅力を感じ、クイックシルバー・ロキシーへ入社した。16歳から離れることのなかった料理の世界から、少し距離を置くことにしたのだ。彼女のアドベンチャーは国内にとどまらず、その後ニューヨークへ。再びオーストラリアに戻ってくると自分の中にある大好きなサーフ?
?ン、クッキング、アウトドア、ヘルシーフード、ファッションを総まとめにした自分なりのスタイルを確立し始めた。原点に立ち戻り、クッキー作りやケータリングなど、昔やっていたことを新しい視点でリ・スタートしたのである。
彼女の料理のコンセプトはオープンファイヤーを使い、地元の旬な素材を使用すること。ときには自ら素潜りや狩りをすることも。子供の頃身体で覚えた方法で、素材調達をするという。オープンファイヤーにこだわる理由は、大地を土台にして自然の燃料(木)を燃やすことでより素材が生かされ、もっとも自然に近い方法で料理を創り出すことが出来るから。
「私が今まで経験した旅やロードトリップ、キャンプなどすべてが詰まったユニークな料理方法だと思うわ。ママから受け継いだクリエイティブさと、パパから学んだワイルドスキルが、私の料理をさらに特別なものにしてくれるの」
多くの人と出会い、食を囲むことでサラの噂は一気に広まり、イベントやケータリングの世界で瞬く間に人気シェフとなった。

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