
数年前は大会会場で選手として、最近はイベント会場で演奏する姿を頻繁に見るようになった。最初はネームバリューの影響かと思っていたが、音楽を聴いてそうじゃない、とわかった。それが元WCTサーファーで現在はヨーロッパで注目を浴びるミュージシャン、リーアン・カレンだ。
父はカリスマ・サーファー。娘も父と同じ道を辿る

リーアン・カレン。サーファーでミュージシャン、父親にレジェンドサーファーのトム・カレンを持つ。幼い頃から常に「トム・カレンの娘」と紹介されてきたが、近年では地元フランス・ビアリッツをはじめ、ヨーロッパ各地でミュージシャンとして精力的に活動している。昔からメディアによく取り上げられていたものの、内容は父親への言及が多く、本人の素性を紹介するものはあまりなかった。それが例えリーアンが主役だとしても。
もしかしたら今まではそれで事足りていたのかもしれない。しかし、ミラノ、バルセロナ、エリセイラ 、ビアリッツなどでライブをこなし、ソロとして初のシングル曲が配信され、パリで開催された音楽フェス「Rock En Seine」にも呼ばれることとなった。ここ最近の活躍ぶりからすると、そろそろ“娘”を強く形容するのはやめた方がいいかもしれない。今はミュージシャン 、リーアン・カレンとしてのキャリアがスタートしている。勢いがあり、旬である。
そんなリーアンはどんな人物なのか? 素顔を知るべく取材を申し込むとふたつ返事で快諾してくれ、インタビューに応じてくれた。

――昔はサーファー、最近はミュージシャンとしての活動が目立つように思えます。自分の中では今、どういうバランスですか?
「半分半分だと思う。波のあるときは サーフィンして、ないときは音楽活動をする。最初に音を作って、その後に歌詞をのせる。最近のビアリッツは波がないから音楽ばっかりになってるけど」
――音楽を始めたのはいつ?
「12歳のときにギターから始めた。よく父親の影響? と聞かれるけど、父以外にも私の周りは音楽をする人が多かったの。だから私も自然とやりたくなった」
夢が叶った18歳、衝撃を受けた20歳
――30代ですね。肌といい、雰囲気といい、年齢よりも若く見えます。これまでの人生を振り返ってみると、転機となった年はいつでしょうか?
「そう、30代に突入しました(苦笑)。 転機となった最初の年は18歳のとき。バカロレア(大学入学に必要な資格)を無事に取得し、自分の時間をすべてサーフィンに捧げられるようになったから。この年からWQSに挑戦し始めました。すべてが新鮮な毎日で、幼い頃からの夢、サーフィンで生きるという夢を実現することができた。その次は20歳のとき。その年はブラジルで多くの時間を過ごしたわ。当時の恋人アンドレ・シルヴァがブラジル出身で、そこで目にしたファベーラに衝撃を受け、何か自分にできることはないか……そうして辿り着いたのが、ドキュメンタリーフィルムを作ることだった(『Titan Kids』)。その経験を通して私は人として本当に多くのことを学んだの。いま思うと、それがサーフィンに別の要素を加える、最初のクリエイティブだった」
フィルム制作と同年、リーアンは2度目のヨーロッパチャンピオンに輝き、次年度のWCT入りを決めている。ハードな選手生活だけでなく、同時に人権活動にも取り組んでいた。それも20歳の若さで、だ。
「初めてのWCTツアーに参戦した翌年、22歳も転機の年だった。それまでにも高校の同級生フィリップ・カラドーナと『Betty The Shark』というバンドを組んでいたけど、この年を機に本格的に始動しようと決めたから。そしてその時、音楽は私の人生を構成する必須要素になった。サーフィンと同じくらい重要なものになったの。音楽は未知の領域が大きかったけれど、アルバムをリリースし、ライブもすると誓った。そしてそれは実行できた。しかし27歳のとき 『Betty The Shark』は活動を休止したの。とても落ち込んだけど、それは同時に音楽の独り立ちを決意するきっかけになった。当時私はとても弱っていて、すごくセンシティブになっていた。けれどもその反面、たくさんのクリエイションを生み出すことができた。そして29歳、ロンドンでのレコーディングが実現した。初のEP『Shapes/Colors』をリリースすることが決まったの!」

運命のボードに出会い、サーフィンもキャリアアップ
――一方、サーファーとしては2015年にフリーへ転身。フリーサーファーになってから、サーフィンへの考え方は変わりましたか?
「私のスタイルはコンペティションのようなサーフィンだった。それはそれで楽しめた。なぜなら本当にいい波でサーフィンができたから。でも気づいたの。それまで乗っていたサーフボードは、いい波やフォトジェニックな波 、キャラクターのある波には向いていない。そこから理想のボードを探す日々が始まった。簡単なことではなく、ボードが変わればサーフィンも違うものになり、それまで身につけてきたものをリセットする必要があった。技術だけでなく、サーフィンに対するマインドもオープンにしていくのに、かなりの時間がかかった。2015年、チャンネル・アイランドのフィッシュボードに出会えたことで、ひとつの答えを得たの。ひと夏をそのボードだけで過ごし、南アフリカのJベイにも持って行った。それは一種の啓示のような出来事だった。世界には本当に上手なサーフガールがたくさんいるけれど、私は運命のボードに出会えたことで開眼し、 彼女たちと差別化することができたと思う。キャリアは個性を際立たせ、サーフィンも上達した。それからトリップやフィル?
?撮影の依頼が多くなったの」

音楽は魔法のようなもの。感情をメロディに解き放つ
――サーファーとしてもミュージシャンとしても、キャリアを順調に重ねていっていますね。 サーフィンと音楽は互いに影響を与えあっていますか?
「海はいつも何かを教えてくれて、自分が何者かを教えてくれる。私の音楽にサーフィンが何かしらの形で影響しているのは確かなこと」
――音楽で何を表現していますか?
「音楽は言葉では表しきれない、とても繊細な感情に触れることができる。例えるなら一種の魔法のようなもの。感情を解き放つメロディやコードのアイデアが浮かぶと、刺激を覚え集中できる。その“ゾーン”に達するのが好き。私はよく人間関係について書くことがある。ときに人の行動は理解しがたいけど、その裏側には詩的なものがいつも隠されていると思っている」
華麗なキャリアに、有名人 、著名人との交遊関係 、サーフィンと音楽以外にもデザイナーとして、インテリアメーカーとコラボしている。行動範囲は広く、どの話題をとってもレベルの違いを感じさせられる。そう、多才なのだ。しかし本人はいたって謙虚で、取材中も「私はシャイだから、自分のことを話すのが苦手」と言っていた。しかしこちらが求めることに精一杯応えようとしてくれる。パフォーマンスも高ければ人間力も高い。そこはやはり父親譲りなのだろうか? 表現者としてキャリアを積む意味でも、父親のいるカリフォルニアに住むことは考えないのか聞いてみたが、「ヨーロッパが好きだから」と即座に答えが返ってきた。自分の今いる場所を肯定できる人は、自分が幸運なことを知っている人。
リーアン・カレンは言葉にしづらい感情や思いを、波と音楽をベースに表現する。これからもっともっと多くの人に認められていくだろう。いままさに、アーティストとして世界に羽ばたいていく途中だ。
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