
信じられない出来事が起こった。
新しい年が明けて、⾃分らしい⼀歩を踏み出そうと決⼼した⽮先に。全てがストップしてしまった。新しい計画や、ライフプランも頓挫した。⾷事も喉を通らなくなった。
ある⽇突然、⾞が壊れたのだ。知⼈を訪ねて、ショートトリップに出た旅先で、突如⾛⾏不能に陥った。スローダウンする⾞を、路肩に停めた。インパネには、警告灯が点灯していた。ハイウェイではなく⼀般道だったのは、不幸中の幸いだった。すぐにロードサービスを⼿配した。程なくして到着した真っ⾚なキャリアカーから、真っ⾚なツナギを着た⼥性が、威勢よく降りてきた。200km以上離れたディーラーまで、⾞を載せて、愛⽝マンゴーと⼀緒に同乗させてもらうことになった。助⼿席では、彼⼥の奇想天外な⾝の上話が⾯⽩くて、あっと⾔う間に⽬的地に到着した。不安な⼼を和らげようとしてくれたのだろう。
代⾞が出払っていて、レンタカーを借りて家まで辿り着いたのは、夜遅くだった。修理が終わるまでの不便を思うだけでも、気が滅⼊った。数⽇かかった検査は、さらに最悪な結果だった。エンジントラブルで、修理もままならないと⾔う。去年の夏に買い替えたばかりの愛⾞を、⼿放さざるを得なくなった。まさかの事態に、失意のどん底に落ちた。
数ヶ⽉間ジタバタしながら、少しずつ、⾃分の⼼の声に⽿を傾けた。起こることには意味がある。何故こんな事が、と思うことが、昨年から続いていた。理由はどこかでわかっていた。破壊と再⽣の時。⼤いなるものから、変化を促されていると。本来の⾃分に戻るために。信じる⾃分を⽣きるために。
“We are what we believe we are〜我々は、我々が信じた通りの⾃分になる”
不安に苛まれて、⾃分を信じ切れなかった。もういい加減にして、⾃分を信じよう。弱い⾃分のままでいい。今までの人生でも、⾃分で強く信じた分だけ、信じた⾃分になれている。失敗してもいい。⾃分を信じて⽣きよう。⾃分を信じるのに、根拠はいらない。ただ直向きに、信じるだけだ。⾃分は、自分が信じた⾃分で出来ている。
運転免許を⼿にしてからずっと、毎⽇のように運転をしてきた。仕事も遊びも、どこに⾏くのも⾞だ。いつでも、どこでも、⾃分だけのプライベートルーム。嬉しい時も、悲しい時も、⾞に乗った。
幼い頃から、⾞好きの⽗の運転で、ドライブに出掛けるのが⼤好きだった。サーフィンやヨガに出合う前は、⾃分を解放出来る唯⼀の場所でもあった。スポーツカーを⼿に⼊れてからは、サーキットライセンスを取得して、レースにも参戦した。仕事や恋で⾟い時は、夜のハイウェイを、ルーフを開けて、⼤⾳量で⾳楽をかけて、泣きながら⾛った。忙しい仕事を離れて、ストレスフリーになっても、サーフトリップ、愛⽝とのお出かけと、楽しい時を共有する、常になくてはならないもの。ライフスタイルを⽀えてくれる、⼤切なパートナーだ。ニックネームだってある。
すでに、10台以上の⾞を乗り継いできたけれども、こんな⼤きなトラブルに⾒舞われたことは、⼀度もなかった。信頼するパートナーに裏切られたようような気持ちになった。様々な想いが頭の中でぐるぐると回っていた。どうしてこんなことに。何故気が付かなかったのだろう。どうしてこの⾞だったのだろう。⾃分も、⾞も責めた。最悪だ。
しばらくすると、感じ始めた。最悪だと思っているから、最悪なことになってしまうのだ。思い通りにならないこと、不運なことは、いつの世にも、誰にでもある。機械が壊れないという保障は、どこにもない。⾃分の⾝がトラブルに遭って、壊れるより良かった。もしかしたら、⾝代わりになってくれたのかもしれない。諦めと共に、ポジティブになると、受け⼊れられるようにもなってきた。⻑いトンネルの出⼝から、明るい陽が差し込むように。
そんな時、気晴らしに出掛けた友⼈のヨガクラスで、メデイテーション前の⾔葉に、ハッとさせられた。
“今ここで、ただ⾃分の運命を信じて座りましょう”
⼼に響いた。何が起こっても、⾃分の運命を信じれば、受け⼊れることが出来る。⾃分を信じ抜ければ、動じなくなる。それこそが信念だ。⾚いツナギを着たロードサービスの⼥性は、不運とも聞こえる⽣い⽴ちをもろともせずに、仕事を愛し、⼦供を愛し、楽しく、前向きに⽣きるシングルマザーだった。彼⼥は、⾃分の運命を信じて⽣きていた。
そんなふうに思えるようになった頃、栗⼭監督率いる侍ジャパンが、WBCで優勝を果たした。彼は、⼈を、起こりうる事さえも、信じ抜いていた。それは⾃分を信じている⼈にしか出来ないことだ。そんな⼈になりたいと思った。
⼈は、⾃分が信じた通りの⾃分になる。恐れや不安から、⾃分を信じなければ、信じられない⾃分になる。⾃分を信じるのは、先ずは⾃分しかいない。きっと近い将来、このトラブルに感謝する⽇が来るだろう。⼀番⼤切なことに、真っ向から向き合うチャンスを与えてくれたのだから。何があっても、変化を恐れず、⾃分を、⾃分の運命を、⾃分の信念を、信じ抜いて⽣きていこう。
“We are what we believe we are”