上原かいのハワイコラム|To Live True to Myself

眩しい陽射しが照りつける冬の青空のもと、愛犬マンゴーと散歩の途中、突然足が痛くて歩けなくなった。右のかかとを地面につけようとすると、足の裏に激痛が走った。怪我をしたわけでもないし、いったい何だろう。経験したことのない、差し込むような痛みだった。その場で立ち止まっていると次第に痛みは和らいで、少しすると何もなかったように歩けた。不可思議だった。それから、痛みは歩く度に現れるようになった。身体の痛みが、まさか自分自身からのメッセージだとは、まだ思いも知る由もなかった。

ハワイ島プナのジャングル生まれのマンゴーは、子供の頃からエネルギッシュなハイパードッグだ。野ブタを射止めるために、狩猟犬を好んで飼うハワイアン達にも可愛がられてきた。そんな彼も、9才になって少し落ち着いたけれど、相変わらず笑われてしまうくらいスーパーエナジテイックだ。そんな彼との毎日の散歩は、約10キロ、4時間はかかる。彼は自分の行きたい方へ、興味のある方へと、気の済むまで歩き続ける。とても素直で頭のいい犬だけれど、強固な意志のもと、本意でない方へは一歩たりとも足を向けない。本心で生きる彼から学ぶことは多い。人間の私は、時に心と身体が離れてしまい、頭でっかちになってしまうから。

ハワイに暮らす前から、車好きの私はどこに行くにも車で出かけていた。何よりいつも急いでいたから、歩くのは好きではなかった。いざ歩いてみると自然が近くなって、いつもと同じ景色がより鮮やかに感じられて、すっかり楽しくなってしまった。朝日や夕陽、月や星の光を浴びながら、刻一刻と変わっていく広い空は、感動するほど美しい。咲き誇る花々や、生い茂る緑の放つ香りを嗅いで、色とりどりの野鳥のさえずりを聞いて深い呼吸をすると、様々な生命を身近に感じた。海の中にいる時の浮遊感とは違って、大地に足の裏をつけて歩くことで、また違った自然との一体感を味わえた。大地を感じて歩くことができなくなった足の痛みは、不安感とともに日に日に強まっていった。ある日、ふとスニーカーの右の紐がきつく結ばれていることに気がついた。靴紐を緩めた瞬間に右足が解放されて、足首が自由を取り戻して歓喜しているのを感じた。初めて痛みに目を向けると、知る限りのセルフケアを始めた。痛みは軽くなったけれど、まだ続いていた。もしかして、この靴?2か月前に下ろしたスニーカーは、スタイリスト時代の頂き物だ。当時、余りにたくさんの靴を持っていたので、履かずじまいのまま忘れてしまっていた。足を入れると明らかにソールが硬く感じられた。でも、まずこれを履かなくちゃ。サステイナブルなライフスタイルにシフトして、あるものを無駄にしない生活を心がけてきた。そうして身体の感覚を封印してしまった。でも、消えない足の痛みに、不安はマックスになった。ついに、前から気になっていたトレッキングシューズをオーダーした。足を入れてみるとすぐに、右足から“YES!”という声が聞こえた。足全体を包み込むフィット感が、足の裏までしっかりとサポートしてくれた。痛みはだいぶ軽減された。でも消えることはなかった。右足は私にとって、身体を支える軸足だ。ヨガで組む蓮華座は左足が上、ボールを蹴るのは左足。利き足の左足を一歩踏み出しても、軸足で身体を支えられない。歩き過ぎだろうと整体師に言われた。そう思う。でもきっと、痛みは何かのメッセージだ。

数日後、久しぶりに海に行った。誕生日をどこで過ごしたい? と自分に尋ねたら、一日中海にいたいと答えが返ってきたから。最近は忙しくて、ずっと行けずにいた。この数ヶ月間、本意でない仕事をしていた。やらなくちゃ、でもそれは本当の自分じゃないと葛藤した。その仕事が終わった日だった。海は穏やかで、ショアブレイクのノーサーフコンデイションだった。すると、マンゴーから散歩のおねだり。じゃあ、ビーチを歩こう! 靴は無用に感じて、裸足になった。太陽に温められた砂に、痛む足が癒されていく。バランスを崩さないように一歩一歩、足の裏全体で、砂をキャッチするように歩いた。解き放たれた足と心は、生気を取り戻したようにみるみる軽くなって、ポカポカしてきた。波打ち際に押し寄せた海水が、砂にスッと浸み込んで消えるように、痛みを吸い取ってくれた。合わない靴に押し込まれてしまった足は、本来持つ足裏の筋肉が機能出来ず、痛みという悲鳴をあげていた。足の裏は、全身の感性が宿るところだ。しなくちゃ、が頭をもたげて、身体の感性を封印してしまった。頭で考える心(思考)じゃなくて、感じる心(本心)の声を聞きこう。一歩一歩、時に間違えても自然と繋がって、自分軸で歩こう。自然の一部の自分と内なる自然、身体と心を繋げて、素のままの、自分自身を生きよう。“To Live True to Myself ”魂が喜ぶように。

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