
エデンの園に波を求めて
インド洋に浮かぶ楽園、セーシェル島。HONEY Vol.12の企画で、オーストラリアの2人のサーファー、ローレン・ヒルとフェリシティー・パルマティアが旅をした。サーフィン文化がない第三国のため、ライダブルな波があるかどうか分からないまま旅がスタート。その旅行記を2回に分けてお届け。

外から唸り声のような音が聞こえる。3フィート先のベッドでフェリシティが何か叫んでいるようだ。午前2時。ここはセーシェルのラ・ディーグ島。普段はラスタファリアンやクレオール文化を楽しみながらのんびり過ごせる場所だが、今はレゲトンチックな音楽がチープなスピーカーをがなり立て、轟音のトリルは一向にやむ気配がない。私たちがラ・ディーグ島を訪れたのは、一年で最も賑やかな週末、聖母被昇天祭の最中だった。
聖母マリアの誕生を祝うため、周辺の島々からたくさんの人々がここを訪れている。ただし、このカトリックの祭りに純潔さは微塵も感じられない。トワークやダガリンといったレゲエダンスと聖母マリアのトーテム像が混在する、何とも矛盾に満ちたイカれた酒浸りの祭りだった。私はフェリシティに微笑み返し、またすぐに眠りについた。
賑やかな祭りを楽しみたい気持ちもあったが、波を探して一日中駆けまわり、その後サーフィンした身体にはもはやエネルギーは残っていなかった。あわや日射病になりかけ、足には得体の知れない感染病のような症状が出始めている。ラ・ディーグ島唯一の小さな町は、このまま朝まで盛り上がり続けるのだろう。


インド洋のガラパゴスと呼ばれる島
ヒマラヤの断片であったセーシェルが島として生を受けたのは、今からおよそ1億8千万年前。火山活動によってできた新しい島ではなく、アフリカ大陸から分離してできためとにかく固有種が豊富である。100年以上生きる個体も多いアルダブラ・ゾウガメ、ホワイトアイやブラックパロットという野鳥など、数々の動植物を育んできた。極端に孤立した島々であることから「インド洋のガラパゴス」と称され、1700年代までひっそりと時を刻んできた。

またセーシェルといえば“エデンの島”や“アダムとイブの島”と呼ばれる由来となった、双子椰子を忘れてはならない。興味をそそられた私たちは、ユネスコ世界遺産に登録されているヴァレ・ド・メ自然保護区にトレッキングすることにした。
長径50㎝、重さ30㎏という世界最大の種子は、この保護区とお隣のキュリーズ島でしか見ることができない。そこは深い緑で覆われ、林床まで光は届かない。50メートル近くそびえ立ったココナッツの林冠が、畏敬の念を求めるかのように隠遁な静けさを作り出していた。その種子のカタチだが、不気味なほど女性のお尻に似ており、雄株は男性器に酷似している。19世紀にはこの実こそが禁断の果実であり、アダムとイヴと信じられたことから、セーシェルこそがエデンの園だと讃えられるようになった。
1770年代に入るとヨーロッパから“人間”という外来種が入植。彼らはアフリカから奴隷を連れてくると、植民地化や農作業に従事させた。海洋探検家のジャック=イヴ・クストーはセーシェルを「地球上で世俗化されていない、最後の聖域」と称した。しかし現在は世界最大のツナ缶製造工場を有するまでに経済が発展。資源の略奪が続き、一部の動植物は絶滅の危機に追い込まれようとしている。
