「波佐見焼」のクリエイティブな世界! アイデアが活きる伝統の器

長崎県波佐見町という小さな町で約400年もの間作られ続けている波佐見(はさみ)焼。 “丈夫な日常食器”として長年庶民に親しまれてきた。伝統的な歴史を持つ波佐見焼にクリエイティブな要素をプラスしたのがマルヒロの馬場匡平さんだった。“若い友人たちが本当に使ってくれるようなものを作りたい”という発想から大胆なデザインやコレクションを生み出したことで、これまでとは違ったかたちで町が活気付きはじめたのだ。ここではHONEYVol.30「ARTS & CRAFTS JAPAN」で紹介しきれなかったインタビュー内容をお届け。気に入った食器を長く使うこともまた、サステイナブル。伝統工芸からお気に入りの器を見つけてみては。



アーティストコラボの寿司湯呑シリーズ。アートを日常に取り入れよう

――波佐見焼は地元の人たちにとってどんな存在ですか?
「小さい頃から当たり前にある存在という感じ。町の人口は約1万5000人なんですけど、以前はその4割くらいが窯業関係者でした。なぜなら波佐見焼は基本的に『分業制』なんです。1つのものを作るのに6つの工程があるとしたら、それぞれを担う6軒の会社が町の中にある。生地屋さん、型屋さん、釉薬屋さん、など。これは江戸時代には会社ではなく藩で焼き物を作っていて、集落ごとに工程が分業されていたことに由来します。会社になったのは明治時代から。そのスタイルが今につながっているんです」


アメリカのフォントデザイン会社、ハウスインダストリーズとコラボした器。コラボ先も型にハマらないのがマルヒロ流

――分業制は非効率な印象もありますが?
「たしかに1社でやるよりも時間がかかります。が、その分利点もある。自分たちが思いつかなかった技術を提案してもらえたり、他社が考えた方法を自社で応用することができるんです。そのおかげでアイデア、デザインに広がりが出ます。例えば生地屋さんひとつとっても、土から形を整える整形方法が5種類くらいあって、会社ごとに異なります。焼きを専門で行う会社もAの窯焼さんだと色が薄めで、Bの窯焼さんだと濃くなる、みたいに仕上がりが変わるんです。だから作るものによって依頼する会社を変えて、バリエーションを増やしています」


「町のパトロールが日課」と笑う馬場さん。各社を回ってコミュニケーションを取るのも大事な仕事のひとつ。この日は地元で有名な「光春窯」へ

――馬場さんは3代目とのことですが、もともとマルヒロはどんな会社だったのでしょうか?
「お店に綺麗に並んでいる器がA品、陶器市などで買うのはB品ですよね。そして窯に売り物でないと判断される、破損してしまった器がC品。うちのじいちゃんは、このC品を大量に仕入れては修正して叩き売りをしていました。その後父ちゃんの代になると、もう時代的に窯でもB品C品というのはあまり出なくなっていて、商社としてオリジナル商品を作るほうにシフトしていました。僕は22歳の時に実家に戻ってきて、跡を継いだかたちです」


波佐見焼きの器が床一面に敷き詰められ、足を踏み入れた瞬間に圧倒されるフラッグシップストア

――渋い伝統的な焼き物もできた中で、どのようにしてエッジの効いたオリジナル商品が生まれたのでしょうか?
「2009年に、ある釜焼きのおっちゃんと一緒に鈴虫を描いた渋い急須を作ってインテリアライフスタイル展に出したんです。2万人くらい来場者がある展示会で、僕らが名刺交換をしたのはたったの5人だった(笑)。考えてみると、身丈に合っていないものを置いていたんですよね。僕の本当に仲良い友達が買ってくれるような器にしようと、ターゲットをシフトしました。洋服、音楽、映画が好きなヤツらに気に入ってもらいたいなと。技術は30年選手のおっちゃんたちが持っているから、自分はプロデュースをがんばろうって思ったんです。そこからぐっと焼き物に興味が出てきました」


酒器を花器として活用。作り手のアイディアが自由なように、使い手も自由な発想で

――最後に、波佐見焼きの最大の魅力を教えてください。
「お伝えしたように、波佐見焼には伝統技法がありません。日常食器を400年作り続けているというのが唯一の誇り。だからこそ自由度が高くて、時々無茶と思えるようなことも実現できます。『こんなのも作るの?』っていうほうが、作り手も楽しい。町の職人は世代超えてみんな知り合いだから『またあいつにこんなもの頼まれた』って作り手同士や家族の会話も増えたりして。そういう意味でも、可能性が無限大なところが魅力ですね」

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