五十嵐カノア選手を育てた、母・ミサさんに聞いたチャレンジする大切さ

オリンピック銀メダリストの五十嵐カノア選手を育てたお母さん、五十嵐ミサさんにHONEYが独占インタビュー。LAに移住したきっかけや、カノア選手のタフな身体やメンタルを育てたストーリーなどをお話しいただきました。

―カノア選手は生まれた時からビーチカルチャーのあるLAで育ったと思いますが、移住して子育てをしようとしたきっかけは?

子供が欲しいと思ったときに、海外で育てたいと思ったんです。主人も私も学生時代からサーフィンをしていたため、子供と共にサーフィンを楽しんでいきたいし、上達していくにつれてトップを目指すときは、海外が拠点の方がよいと思ったから。

―産まれる前から将来を想い行動することは凄いですね!

私は学生の頃にLAやオーストラリアに留学していた経験もあるので、海外に住んでみたいという気持ちがありました。だから、行動はとてもスムーズでしたね。私から主人に行こう! と積極的にプッシュしました(笑)

―サーフィンをする環境が整っていたわけですが、必ずしもサーファーを目指してくれるとも限りませんよね。子供に才能や可能性を感じた瞬間はありましたか?

カノアに可能性を感じたのは、3歳の時に初めてハワイでサーフィンをさせた瞬間でした。彼に誕生日プレゼントはなにがいいか聞いたら、主人や私がサーフィンする姿を見ていたからか「サーフボードがいい」と言われて。

そのサーフボードを持ってハワイへ遊びに行ったとき、波の穏やかなところでさせてみたんです。そうしたら、初っ端から軽々と立ったので驚きました。私が高校生の頃にサーフィンを始めたときは、立つまでにすごく時間がかかったから、余計に才能を感じたのかもしれません(笑)

でも、後から考えてみれば、子供って多くの才能を持っていると思います。子供はすごく正直だから、やりたくないことはやらないし、やりたいことは積極的にやるんですよね。だから、やりたいという子供の気持ちとか表情とかを見て、親が見極めてあげれば可能性はたくさんあると思います。

―幼い頃からサーフィンの才能溢れるカノア選手ですが、勉強も語学も堪能と聞きました。どんな学習スタイルだったのでしょうか?

カノアは幼い頃からサーフィンに真っすぐだったので、私も勉強は普通にできればいいかなぁと思っていたのですが、公文などで勉強することを習慣にしていたからかな? 小学校の時に先生からの勧めで飛び級をして中学に入学したんです。そして、中学でも飛び級して高校へ。

アメリカって宿題が多く出るから「これをきちんと終わらせないと海には行けないよ!」って言い聞かせたのもよかったのかも。早く海に行きたいから、無我夢中で勉強をしていましたね。

―早く終わらせてサーフィンしたい! という熱量を持っているカノア選手も凄いですね。

勉強はあまり好きではないみたいだけど、きっちりやらないと気が済まないタイプだから、宿題が終わらなければ夜中までやるようなこともありましたね。サーフィンをやりたいから、これも頑張らなきゃと思っていたんだと思います。

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