【連載】地球の今、海の今を知る|Vol.43「海にやさしいかどうか」は海だけが知っている

海という環境は、地球を旅して巡る海流と波と、地形と生態系と、浅瀬と外洋と、陸地と大気などが絶妙に関わりあってそこに在るもの。けれどもそのバランスが大きく崩れた今は、地球温暖化や海洋酸性化、プラスチックスープな海、貧酸素化とデッドゾーン海域の広がり、海流と海水の循環異常、過剰漁業による生物多様性の危機、さらには海面上昇や海氷の減少などでも海洋生物の生存がみるみる脅かされるばかり。日本の沿岸も、たとえば海の浄化槽である藻場や干潟は多くが開発によって消滅し、上流にダムや護岸工事が増えたことで海の砂漠化も加速。水質汚染や酸素不足が深刻な水中ではお掃除役を担う底生生物も生きられず、浄化力も回復力も著しく失った瀕死の海、それでも次々と絶え間なく汚れた排水が流れ込んでくるいっぽう。世界各国からの輸送船が行き交う現代は、外国船とともにさまざまな外来種も運び込まれ、生態系が大きく崩された港湾も多々。身近なビーチやなんでもない海の底でも、のほほんと生きているように見えるエビ・カニのような甲殻類、貝類、ナマコやゴカイ、ウニやヒトデといった底生生物がせっせと汚れを濾過し、有機物をリサイクルし、プランクトンを食べて異常な増殖を抑え、海中のCO2を捉えたりと、海を元気にする頼もしい存在たちがたくさん暮らしている。けれどもそんな海底も闇雲に埋め立てられ、海砂は巨大な掃除機でごっそり吸い上げられてはどこかに売られてしまう……そうしたことが自然生態系にどれほどの痛手を与えてきたか、計り知れません。

利益だけを追求するあまり、生態系を無視した破壊や搾取にコントロール……それは「環境にやさしい」と謳われるモノ・コトでも同じで、環境保全をPRしながらさらなる破壊や搾取が行われている場合は数知れません。一例を挙げると、九州のとある湾内で実施されたSDGsな取り組みとして、「海を守りきれいにする再生砂」という名の廃ガラスが、陸の浜から水中まで一面に撒かれたビーチがいくつか造られました。目的は「ガラスの浜では海水を浄化するアサリが育ち、水質を改善する」と謳われていますが、この理論は海の再生とはほど遠く、実際もただ海を潰してしまっただけでした。この海底は以前、自然の起伏に多彩な生き物が暮らす穏やかな砂地だったのに、ガラスの砂が敷き詰められた直後はたくさんの亡骸があちこちに。年月が経っても海底にはアサリが増えるどころか生き物の気配はまるでなく、海中はゾッとするほど殺風景で、ただただ「ガラスの砂漠」が広がるだけ。それでも少しずつ、ガラスの上に上流から流れ込む砂泥が散り積もり、とはいえ分厚いガラスの層は巣穴を掘って暮らす生き物たちにとって大きな障壁であることに変わりありません。何年も経った現在は、泥地を好む生き物や海藻類もちらほらと見られ始めたようで、なんとかして海が息吹きを取り戻そうとしている姿には、静かな感動を覚えます。

そもそも海の浄化を担うのはアサリだけでなく、生物の多様性があってこそ海は健全に豊かであれるもの。けれどもこの事例が象徴するように、SDGsやサステイナブルと謳われながら、自然の立場に立ってみると「メチャクチャなことやってない?」といったモノやコトが大半な昨今。単純に何かを増やせば、何かを撒けば、何かを植えれば自然が復活するわけもなく、身勝手な憶測で「自然にやさしいかどうか」を勘違いしているような……。自然は何十年何百年、何千年何万年、何億年という長い年月をかけて「成るべくところに、成るべくして成る」もので、人工的に、計算通りに再現できるものでもない。そんな自然のことを奥深く理解して、生物多様性の尊さや脆さを繊細に感じ取って、下手に手を加えるよりも、本来の豊かさを取り戻すために人間はどうしたらよいかをもっと慎重に、愛をもって考えていきたいなと、私は思っています。

text:Ayako Minato

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