
海の仲間たちへの、果てなき憧憬──。同じ地球にいながら重力から解き放たれ、水の中を自由に無邪気に、奔放に生きている。そんな海洋生物たちの感動的な一瞬と彼らの物語を作品に収め続ける、越智隆治さん。遥か昔に同じ祖先を分かち合った海の朋友たちは、「今この瞬間を生きることの輝き」を力強く優しく、私たちに教えてくれる。



いつの頃からか、海が身近にある生活が当たり前になっていた。
海は、多くの生き物たちの小さな命を育むゆりかごであり、母親の羊水のようだ。太陽は、万物の父親のように、生命にエネルギーを与え、海中に美しい光となって降り注ぐ。広大な宇宙から見ると、太陽系にあるこの小さな惑星「地球」そのものの存在が、いくつもの偶然が重なって生まれた、生命に満ち溢れる奇跡の星であるということを、日々の生活に追われてしまう私たちはつい忘れがちになる。
大自然である大海原にいると、そんな奇跡を感じる生命の営みや、自然の美しい風景に遭遇する。朝焼け、昼、夕焼け、夜の暗がり、快晴、凪、風、曇天、雨、波、雷……船上から見える風景は刻々と、その表情を変化させる。そして、その様子を表現する言葉がどれだけ沢山あることか。
雲は時に、生き物のような形に見えて、じっと眺めていると、いつの間にかその姿を変化させている。時に巨大なドラゴンに見えたり、時には巨人に見えたり、そして時にはクジラに見えたり。そんな変化をぼ~っと眺めているだけで、ワクワクしてくることもある。
遠くからこちらに向かって来るスコールのカーテンを気にしながら、どうにか濡れるのだけは避けたいと思いながらクジラの親子を追跡していた時、スコールのカーテンの目の前で、母クジラが頭を上げて、スコールを確認したように見えた。
その直後、親子は泳ぐ方向を180 度転換して、スコールを避けるように泳ぎ始めた。クジラも雨を嫌うのか? その時はそう思って驚いたけど、よくよく考えてみたら、きっと海中に何か他の要因があったのかもしれない。
“かもしれない”……自然に対して、向き合う僕はいつもこの言葉で自問自答し続けている。自然と向き合うとき、100% 正しい答えが導き出せるなんて、思ったことがない。しかし、学者ではないから、それでもいいと思っている。言葉を理解しあえる人とでさえ、理解するのは難しいのに、言葉の通じないクジラやイルカ、サメやカジキたちがどう思っているのかなんて、わからない。だから、少しでも経験を積むことで、最も近いであろう答えにたどり着こうとしている。
それはすなわち、自然に対して、常に理解しようという謙虚な気持ちを持ち続けることなのだと思う。この奇跡のような星で、少しでも多くの人がそういう気持ちを持って自然や、そして海に向き合ってくれたら良いのになと、常に思っている。

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