プロサーファーの現在地|水野亜彩子 vol.1/湘南暮らしから始まったサーフィンライフ。15歳でプロに

東京から湘南へ引っ越したのは小学生のとき。海が身近にある暮らしが楽しく、当たり前のようにサーフィンを始めた水野亜彩子さん。「コンテストに出るのが楽しい!」ピュアな気持ちで大会に出場し続け、気づけばプロサーファーに。大人になった今、違う視点でサーフィンを眺めている。


「サーフィンを始めたのは湘南に引っ越してから。それまでは東京暮らしの海のない環境だったので、この景色がすごく新鮮でした」。現在、JPSA(日本サーフィン連盟)やWSL(ワールドサーフィンリーグ)などの解説者としても活躍する水野亜彩子さんは、15歳で初めてJPSAの大会に出て、1度のトライアルでプロサーファーとなった。

「学校の行事で海へ行くことが多く、友達のお父さんはサーフィンが上手い。そんな風に、ごく当たり前に海に触れられる環境で、気づけば大会に出ることに夢中になっていました」

せっかく新しい街に引っ越したのだから習い事を始めてみたい。当時そんな気持ちで向かったのは近所の公民館だった。フラダンスの教室があって、なんだか魅了された。実は小学生で夢中になっていたのはサーフィンではなく、フラダンスだったのだ。

「小学校3、4年のときに友達のお父さんとサーフィンをしたんだけど、そのときは本当にときどきで。小学生の頃は毎日のようにフラダンスのレッスンに通っていました」

ハワイで開催される有名なフラダンスの大会では日本人唯一の枠に選ばれ、キッズ部門で優勝したこともあった。大会前には毎日練習をして、土日は12時間近く踊り続ける日々。けれどキッズ部門があるのは小学生まで。中学生になると、自由な時間がたくさんできた。

「そのままフラを続けることもできたのですが、少し迷っていました。そんなとき、茅ヶ崎のプロサーファーが主催するサーフコンテストが開催されたんです」

友達に誘われて何気なく出場した大会。普段鵠沼の海でサーフィンをしている彼女にとっては、初めてのポイント。場所は近いけれど波質が違う。12分という決められた時間の中で、1本の波にも乗れなかった。

「それが悔しくて……。絶対にサーフィンがうまくなりたい、勝ちたい! と思ったんです」

それからの彼女は、中学の部活にも入らずひたすらサーフィン。どんなに波が小さくてもコンディションが悪くても海に入り、練習を重ねた。そしてついに、地元の小さな大会で優勝を手にした。

「あのときはとても嬉しく、コンテストって本当に楽しい! と実感しました」

その後もコンテストに出場する喜びを味わうべく、がむしゃらに頑張ってきた水野プロ。目標は試合で勝つことだった彼女にとって、プロサーファーは意識したことのない世界。だから正直プロになれた時はその実感がなかった。

この話の続きはvol.2で。

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