
愛する海は、過剰になった大気の熱を9 割近くも吸収してくれている。それでも止まることなく進み続ける、気候変動と水の危機。まずは地球の今を知り、変革のビッグウェーブに乗るために──。
30年間の過去から学び、30年先の明暗を決める今
「世界は今、+1·5℃未満に抑えようとする努力目標を掲げていますが、世界気象機関(WMO)の最新データによると、現在すでに+1·2℃まで上昇、つまり+1·5℃が目の前まで迫ってきているということです」
気候危機の今をこう語り始めてくれたのは、日本を代表する気候科学者、国立環境研究所の江守正多さん。世界平均気温は何十年も上がり続けてきた中で、地球の未来を守るにはあと+0·3℃しか猶予がないかもしれない……私たちは今、そんなカウントダウンのときを生きている。
「地球にはもともと自然の周期変動があるので、気温は単調に上がり続けるわけではありません。世界平均気温は1980年頃から上昇傾向が見られますが、2000年頃から一度停滞し、2015年頃から再び上昇しています。しかし、20世紀後半以降の長期的な傾向をみると、自然現象では説明できない顕著な気温上昇が起きていることがわかります」
原因は人間活動によって温室効果ガスが大幅に増えたこと。これは科学的に疑う余地がなく、人為的な温室効果ガスの増加を計算に入れないと、これほど顕著な気温上昇は説明ができないそう。温室効果ガスの中でも原因の約6割はCO2の増加。産業革命をきっかけに、人々は石炭・石油・天然ガスといった化石燃料を燃やして大量のCO2を排出し、一方ではCO2を吸収する森林を破壊。そうして大気中のCO2濃度が高くなるにつれて平均気温は上昇傾向に。
「産業革命から200年ほど経っていますが、これまで人間活動によって排出されたすべてのCO2 のうち、実は半分以上がこの30年間で排出されているんです。最近よく『今を生きる世代が、温暖化の影響を受け始める最初の世代で、温暖化を止めることができる最後の世代だ』と言われますが、同時にこの30年間を生きた自分たちは『温暖化に最も責任がある世代』でもあるんです」
この30年でそれほど急速に極端にCO2を排出してきたことの衝撃……それは先進国にこそ責任は大きく、実際+1·5℃未満に抑えるには、世界のCO2排出量を2030年までに半減、2050年に実質ゼロにする必要がある。温暖化対策は30年前から議論されてはきたけれど、「パリ協定」が採択された2015年からようやく、世界中が大きく、脱炭素社会へと対策の舵を切り始めた。
「多くの先進国は京都議定書に従い1990年を基準に排出削減を始めており、たとえばイギリスは30年間順調に減らしてきてすでにほぼ半減しています。一方、日本は1990年レベルからほとんど減っていないので、これから急激に削減しなければなりません。例えるならば、夏休みの宿題を残り何日かになるまで手をつけず、最後の数日になってようやく始めたけれど、連日徹夜をしないと間に合わない……そのくらい、もう待ったなしの状況なんです」
政府や企業ももちろんだけれど、これは一人ひとりも実質ゼロへと向かう道。そして30年後には「え、まだCO2なんて出してるの?」と冷ややかな目で見られてしまうような、そんな社会になっているということ。
「正直に言うと、僕が30年前に温暖化問題に興味を持ち始めたときから考えて、世界がここまで本気になって、+ 1·5℃未満を目指す時代が来るなんて、想像すらしていませんでした。そうならなくちゃいけないけど、こんなことは科学者しか知らない問題で、人類はきっとこのまま温暖化を悪化させるしかないんだろうと。それが今は多くの人が気候変動に関心を寄せ、政府や企業が本気で脱炭素を目指し始めた……常識が確かに変化していく、大きな時代の変わり目にいると感じています」
さまざまな風当たりも強かっただろう中、30年近くずっと、気候の変化と地球の声にまっすぐ耳を傾け続けてきた江守さん。だからこそのこの言葉を、私たちは敬意をもって受け止めなくてはいけない気がした。
「ただ心配なこともあって、いま各国が掲げている目標をすべて達成できたとしても、今世紀末には+2·4℃前後になってしまうとされ、+ 1·5℃で本当に温暖化を止められるペースにはなっていないんです。昨年はパンデミックもあって、世界のCO2 排出量は年間約7%減りましたが、日本ではさほど減っておらず、さらに大事なのは、1年だけ7%減ったのでは、大気中のCO2濃度にはほとんど影響がなく、温暖化を抑える効果も見られなかったということです。もちろん減り続ければいつかは変化が出てきますが、毎年温暖化が進むだけの膨大な量のCO2を大気中に排出し続けていることに変わりはなく、気温が上がるほど臨界点に近づくのは確かです。ある論文によれば+2℃程度を超えるとティッピング現象の連鎖がドミノ倒しのように止まらなくな
り、地球はホットハウス・アースとよばれる+4℃の状態に移行してしまう可能性があります」
自然界は精妙に繋がり合っているからこそ、たとえ今日CO2 の排出量をゼロにできたとしても、明日すぐに温暖化が止まるかは分からない。そして今連載でお伝えしてきたように、すでに地球が負ってきたダメージは痛々しいほどに大きすぎることも、私たちは忘れてはいけない。
–{世界有数の水浪費国…水の旅も見つめ直すとき}–
姿かたちを変えながら地球を巡りゆく水も、気候変動によってその循環が大きく変わってしまった。国内外の水問題について、ここからは水ジャーナリストとして30年近く活動する橋本淳司さんに現状を伺った。
「いま世界で水が不足している原因は、気候変動、人口増加、過剰な水利用、の3つです。もともとの乾燥地帯は雨が降らない上に、温暖化によって土壌の水分まで蒸発して干ばつや砂漠化が進み、海抜の低い沿岸では井戸水に海水が入って飲めなくなることも増えています。一方、日本は降水量も多くて水が豊富な国ではありますが、高度経済成長期に河川の汚染が進み、水道水を塩素殺菌したためにカルキ臭いという声が増え、オゾン殺菌などの高度な浄水処理に変わったのですが、これが電力をたくさん消費しているんです。排水口に油や食べ残しを流しても、魚たちが安全に暮らせる水質まで下水処理をするためには大量の水と電力が必要に。合流式下水道は大雨になると、汚れた排水がそのまま自然環境に溢れ出すことがあり、そうして川や海の底に蓄積したヘドロからは温室?
??果がCO2の25倍にもなるメタン、300倍近い亜酸化窒素が発生して温暖化を加速。膨大な電力を使ってCO2を大量に排出しながら汚水を処理し、安全な水を作っても『水道水はおいしくない』といってペットボトルのお水を買う。今はペットボトル飲料水の普及によって水資源の奪い合いも起こっているんです」
日本は世界有数の水輸入国だけれど、これはペットボトル飲料水の輸入だけでなく、衣食住を支える消費の背景で、貴重な水を浪費・汚染してしまっている問題も大きいそう。
「日本はたくさんの品物を輸入し、食料は6割もを海外に依存していますが、それを作るために現地で膨大な水が使われます。品物を輸入するとは同時に、現地の水も大量に輸入し奪っているということ。飲み水や料理、お風呂など、生活で使う„見える水"とは別に、こうした生産過程で必要な"見えない水"のことを『バーチャルウォーター(仮想水)』といいます。例えば牛肉200g を生産するのに必要な水は4000ℓ。国産牛であっても飼料の多くはアメリカのトウモロコシや大豆といった穀物で、これを栽培するのに膨大な水が使われます。アメリカの中西部にはこうした家畜の餌を生産する広大な穀倉地帯がありますが、世界最大級の地下水脈も農業で水を使いすぎたために枯渇しかけています。美味しくてヘルシーと人気のアボカドも、生産が過剰になったために湖がどんどん消えている国もあり、こうした大量消費によって枯渇した水源は、実はたくさんあるんです」
日本は輸入食品のバーチャルウォーターだけで年間627億トン、1人あたり毎日1·4トンもの水を海外から奪っていることになり、衣服やその他を合わせるとさらに多く、海外への水依存度は世界トップレベルになる。
「衣服はコットン生産に大量の水が必要で、世界第4位の湖水といわれたアラル海は綿花栽培により枯渇寸前に。そうして他国に負荷をかけて輸入しているバーチャルウォーターですが、日本にはそれをまかなえる水資源はありません。日常でこまめに節水をしたり、元々の水源を汚さないために油や有害物質を排水に流さないことは大前提ですが、消費を控えることが一番重要なんです」
私たちはたくさんのCO2を排出して、外国の水も大量に奪う形で、モノが溢れる社会に暮らしてきた。けれどこれからはNature Positiveなスタイルへ、いま変わっていかないとこの地球は守れない。そのために心がけたいヒントを、次回いくつか紹介したい。
江守 正多さん
気候科学者。国立環境研究所 地球システム領域 副領域長。地球温暖化の将来予測とリスク論を専門に、人間活動が与える気候変動への影響を研究。世界中の科学的知見を評価したIPCC「気候変動に関する政府間パネル」第5次・第6次報告書の執筆にも携わり、著書も多数。『DRAWDOWN ドローダウン― 地球温暖化を逆転させる100の方法』(山と溪谷社)の監訳も手がける。
橋本 淳司さん
水ジャーナリスト。武蔵野大学客員教授。アクアスフィア・水教育研究所代表。国内外の水問題と解決方法を30年近く取材しながら、水リテラシーの普及活動、子どもや市民を対象とする講演・啓蒙活動を行う。近著に『67億人の水 「争奪」から「持続可能」へ』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『水がなくなる日』(産業編集センター)など。