それって誰にとってのサステイナブル?|地球の今、海の今を知るVol.32


前回のVol.31で、さまざまな環境問題の源にある「人間優先主義」について考えてみました。けれど、それは問題を生む背景だけでなく、サステイナブル、エシカル、オーガニックといったモノやコトが増えているSDGsブームにあっても、どこかで「人間優先主義」を拭えないまま、ふと「これって、誰のためのサステイナブルなんだろう?」と感じる場面も、正直たくさんあります。
一例を挙げると、これからのビジネスはサステイナブルが儲かるといった風潮をはじめ、自然エネルギーを増やしながらさらなる森や海を壊し、容器などに大量のプラスチックを使いながら、レジ袋やストローの提供をやめただけで「環境に配慮しています」と誇大にアピール。素材を少し自然由来に変えただけで消費スタイルは従来のまま、たとえ認証マークを取得していても別の環境負荷が大きいものも。オーガニックな食材やオーガニックコスメであっても、まだまだ膨大なプラスチックの容器包装が当たり前……などなど、結局は「人間にとって都合がよい持続可能性」「人間だけがより良く発展するためのSDGs」「自分の、自社のイメージアップのためのサステイナブル」にすぎなくて、海が、生き物たちが背負う犠牲は何も変わっていない。Vol.13の「シャロー・エコロジー」でも触れましたが、サステイナブルやオーガニックといいつつ、「それって、本当に海のためを思ってますか? 地球のためになってるんですか?」と問いかけたくなることが多々あります。

一方で、環境にも動物にも人権にも、あらゆる配慮をストイックに追求する作り手さん、消費する側も「自分が楽しく美しく健康でいたいからって、大好きな海を犠牲にするのはイヤ」とまっすぐな気持ちで取り組みながら、たとえば「オーガニックなものは好き、でもプラスチックの容器包装は海のためにやめてほしい」という感覚を広めている、そんな純粋な思いやりに触れることもたくさん増えました。もちろん本気で取り組む人、ゆるくやりたい人、どちらの意見もあっていい。いっきにすべてを変えられるわけでもなく、消費者としても完璧にできなくて当然だと思います。ただ、どんなペースで何をするにしても、やっぱり「人間だけが満足すればいい」という姿勢を変えないかぎり、またどこかで別の環境問題を生み、また別の生き物たちを傷つけ、結局は延々とそうしたイタチごっこが繰り返されるだけだろうなと感じています。

地球上に何千万種ともいわれる生物の、たった一種にすぎない人類が、それもここ数世代で圧倒的な破壊力を持って、自然環境と生態系を壊し、世界中の海はプラスチックまみれに、「地球の呼吸」まで乱すほど、CO2と酸素のバランスも崩れた今。世の中は「もっとサステイナブルなものを増やそう」という気風が流行りではあるけれど、私はむしろ、自然の摂理や生態系はそんなに単純な仕組みではないと感じるからこそ、一度失ってしまったものはそう簡単に、人間の力では元の姿に戻せないと知ることのほうが、大切じゃないかなと思っています。たくさんのダメージを見れば分かるように、現代人は自然と人との間に静かに引かれていた、守るべき境界線をはるかに超えてしまった、そのことをどう感じて、どんな地球を後世に引き継ぎたいか。そう考えたとき、私の結論はいつもここに行き着くのですが、足し算ではなく引き算で、とにかくTOO MUCHをやめること。海とそこに暮らす生き物たちを溺愛するあまり、私の場合は偏屈なほどのこだわりに自分で笑ってしまうときもありますが、ゆるくいきたい人、ストイックにいきたい人、いろんな人がいる中で、なかには私のように極端な変わり者がいてもいいのかなと思っているところです。

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