
Vol.33、Vol.34とお伝えしたように、旅行客が増えたことで自然が汚され破壊され、生き物たちの姿が消えていったところはたくさん……それらは「観光公害、オーバーツーリズム」とも呼ばれ、世界的に深刻化してきた問題のひとつです。コロナ禍をきっかけにその様子は一変しましたが、経済成長とともに先進国や新興国で旅行ブームが広がってきたなかで、LCCといった格安航空会社も増え、世界中で旅行者数が大幅に増加し続けていました。そのダメージは自然だけでなく、ゴミ問題やマナー違反、渋滞や混雑、騒音や悪臭、景観や治安の悪化、近隣トラブルなど、現地の暮らしにまでさまざまな被害が及んでいます。

海外の例でみると、たとえばイタリア・ヴェネツィアは1987年に世界遺産となってから旅行者が急増し、観光業が盛んになるとともに住民の暮らしは不自由に、混雑や下水による環境問題、景観や衛生環境の悪化などが進み、「危機遺産」になりかけたことも。すでに気候変動による高潮や海面上昇などのダメージも受けていますが、ヴェネツィアを壊すのは「水害ではなく観光客」とも言われたほど。スペインのバルセロナも、1992年のオリンピックをきっかけに観光都市として開発が進み、不満を募らせた地元住民によって、何度も「反観光客デモ」が起きていました。
コロナ禍以前は、日本も京都などで、身動きが取れないほど旅行者で溢れ返る観光名所、街中も混雑や渋滞が当たり前の風景に。ホテルや民泊も建設ラッシュで、食事代や物価の高騰、食べ歩きやゴミ問題、騒音やトイレ不足なども目立ち、「バスは何本も見送らないと乗れない」「人や建物が密集しすぎて、由緒ある古都らしさが台無し」など、市民の苦情も絶えなかったようす。沖縄もとりわけ顕著で、本島も離島も、旅行者の増加と観光開発が広がるとともに、本来の「その島らしさ」はどんどんと損なわれていくばかりです。
悲しい変遷は海のなかでも同じように、オーバーツーリズムによって麗しき海が荒れ果てていく様子は、私も国内外でたくさん目撃してきました。人知れない極上ビーチだったところに次々とリゾート施設が建ち、桃源郷のようだった海は人気の絶景スポットとして、毎日多くの観光客が有害な日焼け止めを塗って入り、スノーケリングを楽しむ人たちも慣れないフィンキックで泳ぐほどサンゴ礁は無惨に蹴散らされ、踏みつけられ……。そうしてかつての面影も色彩も消え去り、魚たちの姿も何もない、殺風景な海になってしまったところは多々。そんな光景を見るたびに、旅人に感じてほしい景色だからこそ「失ってはいけないものがある」んじゃないのかなと思ったり。現地の自然環境や動植物、人々の気持ちに寄り添うことなく、たとえ観光産業や地域経済は潤ったとしても、「そこにある日常」は多くの犠牲が押し付けられている……観光公害の本質は、そんな背景にあるのだろうとも感じます。

一方で、年々悪化するそんなダメージに心を痛め、たとえ何もなくなった海でも「昔のように生命あふれる楽園に戻したい」と、立ち入り禁止や期間・人数の制限を設ける海が増えているのはうれしい限りです。陸上でも、新しいホテルや商業施設などの建設を禁止するところ、そして以前は観光客や旅行業界が優先されていた姿勢を、まずは地域住民を優先とする「レジデンス・ファースト」にシフトする地域も。そんななかで起こったコロナ禍は、オーバーツーリズム問題を見つめ直し、「観光の在り方」を変える機会になったところも多いようです。
旅はたくさんの感動とトキメキと、心潤う瞬間に溢れるもの。ですが、旅人にとっては非日常を愉しむ旅先の一つでも、そこに暮らす動植物や人々にとってみれば、いつでもホッと、穏やかに過ごしたい日常の居場所──。旅を愉しむ側として、私はいつもそのことを忘れずにいたいなと、静かに心に留めてみています。

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