【連載】地球の今、海の今を知る|Vol.45 調和へと向かう大いなるタオに導かれて

地球に存在する動植物は皆、常に「調和」という自然律のもとでそれぞれが大切な役割を担い、お互いに絶妙なバランスで補い合い、地球を支え合っている同志たち。前回のVol.44ではそんな地球の一体感を感じる植物たちのストーリー、いっぽうで人間がいかに自然に手を出し過ぎているかを紐解きました。人間活動によるダメージは地球の限界をはるかに越えて、本来は途切れることのない生命の連環もさまざまに断ち切られ、海のなかでも過剰な乱獲やプラスチック汚染などが海洋生態系を致命的なほどに衰弱させ、今は地球に備わっているはずのたゆまぬ再生力も、存分に発揮することができなくなっている……。そんな瀕死の海を前に「なんとかしたい」と手を差し伸べたくなる気持ちは、痛いほどに共感します。もちろんゴミを拾ったり減らしたり、自然を壊さない・汚さない「引き算」的な配慮は間違いなく地球のためになる。けれども足し算的に、「自然に手を出す・コントロールする」ことについては、ひょっとしたら人間側のエゴや理想論を押し付けているだけかもしれない、たとえその動機が純粋な善意からであっても……。なぜなら、地球には私たちの人智を超えた理が確かにあって、けれどもそれは現代の最先端科学をもってしても分かり得ないことのほうが多く、それを弁えずに手を差し伸べることが本当に地球のためになるのかどうかも分からない、むしろ逆効果や遠回りになっている場合も多いから。

サンゴ礁を例に挙げると、近年はサンゴの養殖といった取り組みなどもされていますが、実際は人工技術を試行錯誤するよりもはるかに力強い再生力で、人知れない海の片隅にサンゴの赤ちゃんがすくすくと育ち、瑞々しいサンゴ礁が見事に復活しているところもあります。それは決して人の手で造り上げられるものでもなく、人間活動の影響が少なく、繊細で複雑な揃うべき条件がすべて揃ったからこそ蘇った景色。もちろん全体的には消滅傾向が続いていますが、以前Vol.21でサンゴを食べるオニヒトデを悪者として駆除することの違和感について書いたように、一見はオニヒトデによる破壊的な現象に見えても、それは破壊と再生の過程にすぎず、いったんそのエリアがリセットされることにも意味があるのかもしれない。もちろん、温暖化や排水汚染などが解消されないままでは再生することなく消滅して終わるだけですが……。

サンゴ礁に限らず、すべては地球規模で調和を図るために起こり、荘厳な自然というのは何十億年もの営みの上に息づくもの。それをほんの短い間で、たった一つの現象だけを人間の狭いモノサシで良い・悪いとジャッジすることの浅はかさ、自然のことを「分かったつもり」で手を出すことの傲慢さを、これまで海と対峙するなかでさまざま感じてきました。何かを増やせば、邪魔者を駆除すれば、何かの稚魚を放流すれば……そうして自然を理想通りにコントロールしようとしても、悠久のときが育んだ精妙な自然美を人間が完璧に再現できるはずもなく、必ずどこかにしわ寄せが生じてしまう。そもそも人間が思う「これが良い、こうなってほしい」という理想像と、自然界のバランスにとってあるべき姿とは、まるで違っているのかもしれない……そう弁えるほどに、簡単に手を出していい領域ではないと感じるばかりです。私たちにできるのは、もっと自然生態系の尊さと繊細さを学び、感謝し、自然から奪いすぎている日常を見つめ、地球のバランスに寄り添えるように引き算をすること。世界的なロックダウンで人間活動がスケールダウンしたとき、一時的にでも地球のあちこちで自然が蘇った歓喜に沸いたように、人間が邪魔さえしなければ、地球は確かに調和へと向かう流れにスムーズに乗っていける。それは人知れない海の片隅で、静かに逞しく蘇っていくサンゴ礁のように。はたまた寄せては返す波とともに、太陽と月とが織りなす引力のリズムに導かれて、潮が満ち引きを繰り返していくにつれ美しい砂浜が滑らかにあるべき場所へ、あるべき姿へとおさまっていくように。そんな地球のたゆまぬ蘇生力と、タオのような大いなる流れに委ねて見守ること、それが私たちにできる地球への最大の愛だろうと思っています。

text:Ayako Minato

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