地球を「わたしサイズ」で感じてみると|地球の今、海の今を知る Vol.67


日常をいろんな時間軸や価値観で感じてみること、その面白さについて前回Vol.66で少し書きましたが、一つに凝り固まった視点より、大胆に視座を変えて世界を捉え直してみることも、もはや趣味の一つになりつつあります(笑)。ときには顕微鏡を覗き込むようなミクロスケールで、かと思えばいっきに地球を飛び出して、果てしない宇宙から見たマクロスケールで、そしてときには目に見えるものと見えないものの両極から……といろんな角度や距離感で見ていくと、同じ現象でもまったく違った印象や真実や感動に出合えたり。

たとえば、カツオノエボシというちょっとユニークな生き物を紹介してみます。2022年は例年より1ヶ月以上も早い6月~7月頃、相模湾周辺にも大量漂着して話題になっていましたが、クラゲのようにユラユラと、流れに委ねて海を旅する彼らは、カツオが到来するシーズンに黒潮に乗って流れ着く刺胞動物です。そのボディは鮮やかなブルーとプヨッとした丸みが愛らしい反面、触手に猛毒があり、毎年夏には各地で被害も多数。そうなると人々には「危険生物、悪者」として嫌われてしまうわけですが、猛毒は彼ら自身の身を守るためのもの、そしてカツオノエボシも海の調和と多様性には欠かせない、尊い存在です。刺されると激痛が走ることから「電気クラゲ」とも呼ばれますが、カツオノエボシは実をいうと、クラゲではありません。一匹の個体のように見えて、その正体は「ヒドロ虫」という個体が数千数万も集まって「クラゲのような形」を作っている、つまりカツオノエボシと名付けられた「ヒドロ虫の群体」なのです。各々のヒドロ虫は触手になるもの、ポリプになるもの、刺胞嚢になるものなどそれぞれが役割分担し、お互いに助け合いながら一つのカツオノエボシという全体像を形作り、「みんなが一続きにつながった運命共同体」として生きています。

そう聞くとカツオノエボシだけが特別のようにも感じますが、じつは他の生き物も、私たち「ヒト」も、そして地球という一惑星もからくりは同じ。HONEY Vol.33「Listen to the True Nature」で紐解いたように、「私は一人、一つのカラダ」と錯覚しがちだけれど、「一つのカラダ」というのは何十兆個もの細胞と、100兆を超える細菌たちの集まりです。それも一生をずっと同じ細胞や生命たちに支えられるわけではなく、食べたものによって新しく作り替えられ、体の中で数えきれない生命が循環し、破壊と再生を繰り返して常に入れ替わりながら「今この瞬間の私」が存在できている。同じくこの一惑星も、私たち人類を含めたあらゆる生命の環が調和的に大循環し続けることで、自然豊かな「宇宙船地球号」が存在しています。

こうしていろんなレイヤーで考えを巡らせながら、たとえば地球を自分のカラダに置き換えてみると、環境問題というのは身体のどこかに不調が現れていても対処せず、見て見ぬフリをして放置するほど症状が悪化する、それが地球というマクロスケールで起こっている現象ともいえます。ヒエラルキーのトップ層だけが過剰に資源や富を独占している世界も、身体のどこか一部だけが栄養を独り占めしているようなもので、そうなれば当然、全身のバランスは崩れてしまう。戦争にしても、たとえるなら自分の体内で胃と腸がなにかしらの理由でケンカになって、お互いを攻撃し合っているようなもの。今度はそのウワサを聞きつけた肝臓が胃の味方について、一緒になって腸を猛攻撃している……。もちろんこれらは極端な比喩で、お腹の中で内臓同士が奪い合いや大喧嘩をするなんて実際にはあり得ないことだけれど、地球を自分の身体サイズに置き換えて考えるだけでも、いろんな学びや発見があるような。同じように、いろんな視座やスケール感で海や地球、世界を感じてみると、思わぬところでハッとしたり大切なことに気づかされたり、難解だと思っていた問題も、もしかしたら案外スムーズに解決できたりするのかもしれません。


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