環境問題も私たちの意識が創っているとしたら|地球の今、海の今を知る Vol.65


2022年も今連載でさまざまな地球の今、海の今を見つめてきたなかで、共通している「ある現象」に気づいた方もいるかもしれません。Vol.49Vol.50Vol.51Vol.52とシーフードの背景から考えた社会構造、Vol.53Vol.54で学んだエシカルの本質、Vol.55で触れたファッション産業の闇、Vol.60Vol.61のPFAS汚染で感じた社会の縮図、Vol.63Vol.64のリゾート開発……そのどれもが、背景で何が起こっていて、どんな環境負荷や犠牲の上に成り立っているかを知る人は少ない。環境配慮にしても、「自然に還る」と謳われても実際はほとんど自然に還らない、地産地消といっても原材料や生産は遠い国で作られ、流行りのエコファーもたいていはプラスチック、ヴィーガンレザーは廃棄食材やサボテンなどを“一部に”盛り込んだだけで大部分はプラスチックの合皮、といった茶番劇もたくさん。これらの共通点とは、「ポジティブな側面ばかり注目され、ネガティブな背景は水面下に、蓋を開けてみたらOMG……」な現象のこと。もちろん、みんなが背景の環境負荷や過酷な現実について考え始めたら、消費や娯楽を楽しめなくなって事業は儲からない、だからこそ臭いものは蓋をされ、PFAS汚染のように背景を隠してきた生産側の責任は大きいだろうと思います。けれども、今回はまったく違った視点から考えて、「すべては私たちの意識が創っている」としたら、どう感じますか?

その根拠はいくつかあるのですが、たとえば「ポジティブ思考」もその一つ。もちろん「明るく前向きに」という心持ちは大切だけれど、ポジティブに偏りすぎる弊害は無視できないほどに大きいもの。本当は悲しみや怒り、不安や恐怖、罪悪感、欠乏感、自己否定などを感じているのに、「いけない、ポジティブでいなくちゃ!」「怒っちゃダメ」「泣いたら恥ずかしい」と空元気を装って、感情は無かったことに。そうして「ネガティブは見ないフリ」が癖になり、放置された感情はどんどん心の深層に蓄積されていきます。物欲や執着、承認欲求、自己顕示欲、利己的、優越感、見栄やプライド、こうするべき……こうした観念や感情も、心の9割以上を占める無意識下に。そうなると、いくら頭で「ワクワクしよう、いつもポジティブに!」と意識をしても、9割の無意識にあるネガティブのほうが、圧倒的なボリュームで現実に投影されていきます。たとえ大声で「平和」を願っていても、内心は怒りやイライラ、競争や戦いの意識が強ければ、それが揉め事や争いを創っていく。環境問題も社会問題も、飢餓も格差も戦争も、ぐーっとズームを引いて全体像を俯瞰してみると、実は私たち一人ひとりの内側が投影されて世界は創られている……。絵空事のようですが、これはすでに物理学でも科学的に証明されていて、初めて知ったときは天動説が地動説にひっくり返ったくらいの仰天ぶり、同時に「答えはすべて自分の内側にある」と、達観した行者だけが悟れるようなことが、なんだか急にストンと腑に落ちました。これを語り始めると連載300回くらいまでこのテーマが続きそうなので(笑)詳しくは割愛しますが、海や地球環境の分野とは別に、2012年頃から尊敬する恩師たち数人に学びながら、本誌や今連載でもたびたび意識やマインドについて触れてきたのは、そんな理由からでもありました。

じゃあ、争いを生む怒りやイライラが悪いのか、怒っちゃいけないのかといえば決してそうではなく、そもそも感情は「ポジティブ or ネガティブ」のラベルで区別はできても、どちらが良い悪いはありません。ネガティブ感情を「悪者」として、ときには鍵をかけて頑丈に、心の奥底にしまい込んだりもするけれど、どんな感情も優劣なくすべてが同等なもの。だからネガティブな感情を蔑ろにすればするほど感じる心は鈍り、喜びやポジティブなことにも同じだけ鈍感になっていきます。もっというと、怒りの奥には恐れが、物欲や承認欲求の根本には欠乏感があるように、感情や観念は一つではなく何層にも重なるマトリョーシカのようなもの。根本の欠乏感に向き合わない限りは、海水を飲めば飲むほど喉が渇くように、新しいものをいくら手にしても手にしても満たされないままモノばかりが増えて、自然はどんどんと乏しくなっていく。そう思うと、買い物やSNSで物欲や承認欲求を満たすより、内側の欠乏感と向き合ったほうが1000%、自分のためにも、地球のためにもなるのは間違いないというわけです。

そうはいっても、自分の内側に向き合うのは苦手、向き合い方もたくさんあってよく分からないという人は、まずは偏ったポジティブ思考が自分にも地球にも不健康だと知っておく、嫌なことがあったら「泣いてもいいよ」「怒ってもいいよ」とどんな自分も否定しない、それを心がけるだけでも十分です。地球の危機を知れば知るほど、一人の力ではどうにもできないようにも感じるけれど、自分の内側と対話して整える人が増えれば好転していけるかもしれない。奇跡のような、それでも物理学的には十分あり得るそんなアプローチに共感してくれる人がいたら、少数精鋭でも一緒にそのミラクルを体験してみたいなと、密かに願ってみています。

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