環境問題が「他人事」ではない理由|地球の今、海の今を知る Vol.68


人類が誕生するより遥か遠い昔から、地球には生物の多様性が何十億年も豊かに紡がれて、今の私たちが日々いただく恵みはもちろん、身に纏うもの、大気や水、生きる源のすべてはその多様性があってこそ生み出されるもの……。以前、HONEY Vol.33Listen to the True Nature」でご教授いただいた生物学者の福岡伸一ハカセと、医学博士の養老孟司先生の対談を拝聴したことがあり、私と自然との関わりについて深く心に残ったお話がいくつもありました。前回のVol.67で「私というカラダ」は何十兆個もの細胞と100兆を超える細菌たちの集まりだと紹介しましたが、対談の中で思わずハッとしたことの一つが、養老先生のこんなお話でした。

「我々の身体というのはものすごい数の生き物が住み着いていて、皆さんの身体自体も『生態系』なんですよ。(中略)僕も古くから環境問題には関心があるのですが、一番気になっているのは『環境ってなんだ?』ということ。どこからが自分で、どこからが環境なのか? この境界線は考えてもよく分からない。というよりむしろ、環境と自分は繋がっていて切り離せるものなんかじゃないのに、今の人たちはどうして切り離しちゃうんだろう? 僕はよく、学生たちにこう聞くんです。畑や田んぼに行って作物を見たときに、『あ! あれ、将来の自分だ!』と思ったことがあるかってね(笑)」(養老孟司先生)

食べたもので自分の身体が創られる、それは頭では分かっていても、調理している食材、お店に並ぶもの、または海や川で泳ぐ魚を釣ったとき、田畑で育つ作物を見たとき、「これが将来の私!」と思えるか……当時の私はもれなく、そんな風に感じたことは一度もなかった一人でした。自然はすべて繋がっていると理解してはいるものの、無意識に引いていた境界線にはたと気づかされながら、「地球環境の具合が悪くなれば、自分も同じように具合が悪くなるのは当然のこと」と話されていたのも印象的でした。

私と自然とのあいだ、そして自然界の中にも境界線はないという真理は、本誌でも福岡ハカセがていねいに紐解いてくださいました。「ありとあらゆるものが常に交換され、固体のように見えてもすべては物質がただ通り抜けていく『動的平衡』という“流れ”。これこそが地球環境と全生命とが美しく精妙なバランスを保ちながら、38億年をかけて組み上げた共存共栄の姿」だと。そんなハカセが対談で語られたこんなお話も、心に深く響いたことを覚えています。

「私たちは『これが自分だ』と決めつけていますが、私たちの身体というのは60兆個の細胞、そして腸内細菌は180兆個、なんと3倍以上もの細菌と一緒に暮らしていて、人間は体内と周りの環境と、常に動的平衡をバトンタッチし続けながら生きている、そのどこにも境界なんてないわけです。(中略)『人間だけが意識を持ち、他の生物は意識を持たない』なんていうのも大きな間違いで、動物にも、ミミズにもちゃんと意識があって、『一寸の虫にも五分の魂』という言い伝えは本当にその通りで。だから『他の生物はすべて、人間のためにある生物資源だ』という考え方がいかに傲慢か、というのは自明なことなのです」(福岡伸一ハカセ)

たとえば食べるもの、衣服やファブリックの原料になる農作物を例に考えてみると、現代農業は利益や生産効率を追い求めるあまり、多様性を育む草や小動物たちを一瞬で皆殺しにしてしまう農薬が当たり前に使われ、化学肥料や有害化学物質が多用されるほど大地も海も汚染され、見た目は同じ野菜でも、本来の生命力や栄養価はずいぶんと減ってしまった作物たち。「無農薬では作物を量産するのが難しい」という声もあるけれど、今は大地の劣化や破壊が進んだことで作物が育たない土地が増え、FAO(食糧農業機関)は地球上で食糧生産に必要な土壌がすでに33%以上も劣化、このままいくと2050年には90%以上の土壌が劣化するという予測も発表しています。もちろん、農業だけでなくあらゆる産業で、自然との調和を無視した経済発展やエコ活が流行を賑わせてきたけれど、その結果は、何十億年と受け継がれてきた生物多様性ですら、大量絶滅が猛スピードで進むほどに衰退し、もれなく人類もその生物多様性の一部。そう思うと、「環境問題は他人事」だなんて、ほんとうは誰にも言えないはずで。サステイナブルにしても、「人間以外の動植物を、生物資源と見なすことがいかに傲慢か」という感覚があれば、自然素材だからといって都合よく自然を利用し続けることの違和感にも気がつけるのではと思います。

地球上のあらゆる生物と自然環境、そのすべてと繊細に、ダイナミックにバランスを取り合いながら生かされている私たち。何が環境に良いのか、どれがサステイナブルかを考える前に、まずは「私と、私を取り巻く環境とのあいだには境がない」という大前提を忘れずに過ごす。それだけでも、日常の在り方やものの選び方、今あるものへの感謝、そして海や自然との一体感も、いっきに深まっていくんじゃないかなという気もしています。


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地球を「わたしサイズ」で感じてみると|地球の今、海の今を知る Vol.67

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