
海が地球にとってかけがえのない生命のゆりかごであるように、陸の大地もまた驚くべき生命の宝庫で、スプーン1杯の土を掬い上げただけでも、その中には1万種、100億以上もの微生物が息づいているそうです。地上に暮らす動植物を支えながら、その足元では四六時中、細菌やカビ、ミミズやダンゴムシなどたくさんの土壌生物が落ち葉や死骸、排泄物などをひたむきに分解しながら土を作っている、それを何億年と、気が遠くなるほどの長い年月を積み重ねてできあがったのが、この地球に広がる大地です。
そんな土の恩恵も受けながら、人類は1万年以上も前から農耕をしてきたと言われますが、農薬や化学肥料、除草剤や殺虫剤などを使う慣行農法が主流になり、土壌の劣化が深刻化したのは、ほんのここ100年足らずのこと。昨今はそんな大地を回復させようと、農薬や有害化学物質を使わない有機農法、土を耕さず生態系を守る不耕起栽培、草や虫たちを敵としない不除草、草生栽培、自然農法、そしてHONEY Vol.34でも特集したパーマカルチャーなど、さまざまな環境再生型農業が注目を集め、近年は「不耕起栽培」も海外で急速に広まっています。
日本でも半世紀前から提唱されてはいましたが、日本は高温多湿で雨が多く、野草の種類も豊かで草がよく育つ、これ自体はとても恵まれた環境だなと嬉しく感じますが、不耕起栽培を実践するには適さない気候条件も多く、大規模な農地では取り入れづらいそう。ただ、日本でも家庭菜園くらいの小規模で、葉物などの生鮮野菜ならば不耕起・草生栽培でも育ちやすく、何より生命力豊かな土壌で育った食べ物は味わい深く栄養価も高いというのも魅力的です。
大地を耕さないことで見えてくる地球本来の底力と、土の中の微生物や根といった環境が織りなす健全な生態系……不耕起栽培が目指すのは、そうした土と生態系の豊かさを守り育むこと。ところが、近年アメリカや南米などで導入されている不耕起栽培のファクトチェックをしたところ、純粋な環境再生農法とは事情がまったく違っていました。

たとえば、アメリカでは小麦や大豆の40%以上、トウモロコシも30%近くが不耕起で栽培されるまで拡大しているものの、その多くは「耕さない+農薬に耐えられるよう遺伝子組み替えされた作物+除草剤の使用」をセットにしたスタイルが大規模に広まっているようす。これではいくら不耕起とはいえ、大地と生態系を守ることには繋がっていません。
もう一つ、いま不耕起栽培が広まっているのにはこんな理由も。それは、気候変動対策として世界中が脱炭素を目指すなか、土を耕さないことで大地の炭素貯留量が増え、温暖化対策に貢献できるという提案で「カーボンファーミング(炭素農業)」が注目されているから。けれども、大地を耕してきたことが温暖化の主原因でもなく、もっと根本的に、経済活動による温室効果ガス排出を減らすことや生態系の回復にフォーカスするほうがよっぽど効果的です。にも関わらず、なかには「遺伝子組み換え作物+除草剤を使い、不耕起栽培をすることで脱炭素に貢献!」と大々的に謳うところも。
こんな風に、「地球環境のため」といってもハイライトの一側面を切り取っただけで、蓋を開けてみると「どこが地球のためなの??????」とハテナがいくつも浮かぶことはあるあるな話。世間で言われていること、人気の高いものが「絶対的な正解」ではないから、何が地球にとって、私たちにとって良いことなのかを一人ひとりが考えていけたら。と同時に、前回のVol.69やVol.51でも触れたように、この世界は「分かっていないことのほうが圧倒的に多い」という事実も、忘れないでいたいなと思います。

最先端科学の力でも、土についてはまだたったの1%しか分かっていないそうで、海にしても分かっているのはたったの5%程度、95%はまだまだ未知なる世界です。そもそも物質として見えているのもわずか5%前後で、9割以上は非物質なもの、宇宙も約95%は見えないダークエネルギーやダークマターだと言われます。その前に、私たちが意識できているのもたった3~5%で、95~97%は無意識。さらに私たちの脳には自動的に情報をふるいにかける機能があり、見えている世界もたった0.0000036%くらいしか認識していないそうです。例えるなら、東京から九州まで1000kmもの道のりが広がっているのに、目先のたった3.6mしか見ていない。そのくらい、私たちがキャッチできていること、知っているつもりでいることは、実はごくごくわずかに過ぎないのです。
現代はとくに「人間社会がすべて」だと思い込んで、なんの躊躇も見境もなく、なんの罪悪感もなく自然との繋がりをどんどん断ち切って、都合よくコントロールしようとしているけれど、私たちが生かされている世界は思っているよりもっとずっと広くて神秘的で、未知なる世界に包まれているということ。だからこそ、かつて老子が説いた「無為自然」のように、「作為なく、人の手を加えず、宇宙の在り方にしたがって自然のまま、在るがままであること」、そんな謙虚さをどこかで思い出すことも大切かもしれません。
私も、海の異変や奇妙な現象を五感で感じながら、それでも分かったつもりで人が下手に手を出さないほうがいいことは、海の懐に触れるほど確信に変わる……それが私にとっての真実ではあるけれど、一人ひとりが感じる真実は違うはずだから、みなさんも今回挙げた不耕起栽培などを一例に、どう感じて、どうしていきたいか、何かの気づきや意識の変化につなげてもらえたらうれしいです。
宇宙の神秘に生かされている私たち|地球の今、海の今を知る Vol.69

環境問題が「他人事」ではない理由|地球の今、海の今を知る Vol.68

地球を「わたしサイズ」で感じてみると|地球の今、海の今を知る Vol.67

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